(英エコノミスト誌 2021年6月19日号)

東京五輪はいろいろな意味で歴史的な大会になることは間違いない

 料理から自動車製造に至るまで、日本のやり方は細かい部分まで注意が行き届いている。ところが、開催まで1カ月あまりを残すのみとなった東京オリンピックは正反対の状況にある。

 新型コロナウイルスの感染拡大となかなか進まないワクチン接種のせいで、当初は昨年夏に開催される予定だった大会に観客を入れるかどうかも決まっていない。

 しかも、それは「開催できれば」の話だ。組織委員会は、開催すると主張している。

 最も大事な瞬間に自分の状態をピークに持っていきたい人々にしてみれば、何ともいら立たしいことだ。

 出場する選手はもちろんのこと、大会の財政力を左右する企業スポンサーも気を揉んでいる。

 撤退する企業はまだ出ていないものの、水面下で再延期を要請しているところもある。

 大会のオフィシャルパートナーである朝日新聞は、大会を予定通り開催する国際オリンピック委員会(IOC)の決断を「独善的」と形容した。

 ブランドに磨きをかける絶好の機会だと思われたイベントが、会社の評判を吹き飛ばしかねない地雷原になってしまった。

オリンピックの根深い商業主義

 オリンピックの商業主義は根が深い。

 1896年開催の近代オリンピック第1回大会の公式記録集には、コダックが広告を打っていた。そして1984年のロサンゼルス大会が新時代の幕を開いた。

 この大会になって初めて、大企業が運営資金の大半を提供したのだ。

 1業種につき1社しか広告を認めない仕組みにすれば、マクドナルドからビュイックに至る様々なブランドが大金を支払うだろうと主催者は読んだ。

 企業は実際、大金を払い、おかげでロサンゼルス大会は黒字だった。