(英エコノミスト誌 2021年5月29日号)

パレスチナに紛争がないことを誰しも願っているのだが・・・

和平プロセスは両国の関係改善を阻む障害になった。

 あれほどの時間と労力をつぎ込みながら、これほどまでに実りの少ない和平への取り組みがかつてあっただろうか。

 米国がイスラエル人とパレスチナ人の話し合いを見守り始めて30年になる。だが、この2つの民族はどうしても一緒に暮らす気になれず、いまだに「聖地」をめぐり争っている。

 242人のパレスチナ人と10人のイスラエル人が命を落とした5月の戦闘は、次の戦いに向けて土地を一掃した以外、何も達成できなかった。

 1993年のオスロ合意で定められた和平プロセスは、合意しないことに合意する2つの国を作ることを目指している。

 そのための手段として、土地の交換、安全の保証、エルサレムを共有する取り決め、そしてパレスチナ人の限定的な「帰還する権利」などを用いている。

 これによりイスラエルは繁栄する民主主義国に、そしてユダヤ人が逃げ込むことのできる土地になるはずだった。

 一方、パレスチナ人には自治が約束された。

 和平があと少しで実現しそうなところまで交渉が進んだことも何度かあったが、結局は非難合戦が始まって和平が遠のくパターンが繰り返された。

「1国家の現実」

 ところが今、2国家共存を目指す「プロセス」が和平に向かう道になるどころか、その道をふさぐ障害物になってしまっている。

 今日では、和平はもう議題にのぼっていないのに、誰もがまだのぼっているフリをしている。

 この状況は、不和につながるのがお決まりのパターンだ。

 交渉上の重要な問題はほぼすべて、和平が「近々」達成される際に解決されるからとの理屈で先送りできてしまううえに、その「近々」はいつまでたっても到来しないからだ。

 また、この状況では、必然的に2国家ではなく1国家に至る。

 2国家共存の枠組みが有害だという考え方は、パレスチナ人には初耳ではないだろう。この枠組みの下で、領土が連続していて存続可能な主権国家としてのパレスチナというビジョンは後退してきた。

 ヨルダン川西岸にあるパレスチナの領土は、イスラエルが国際法で違法とされながらも拡大している「入植地」という名の海に浮かぶ群島のようなもので、ガザはイスラエルとエジプトの封鎖によって隔てられた孤島と同じだ。