「国有化までは、上陸こそ禁じられていたものの、手を伸ばせば島に届くくらい近づくことができた。漁師たちは島の目前で、潜り漁も行っていた」が、領有化後は「『1海里(1852メートル)以内への接近』を海保に阻まれるようになり、漁師たちも潜り漁ができなくなった」という。

 これだけならばまだしも、「日本国民を遠ざける一方で、(中略)中国公船は領海内(筆者注:12海里)どころか、島々の至近をわが物顔で遊弋している」というではないか。

 ざっくり言えば、日本人が入れない1海里以内に中国船は入って遊弋しているということである。

 この一文だけでも、国民は唖然とさせられるのではないだろうか。

 恵美丸が「海警1301」の後ろにつけても中国公船は何の反応もせず、左舷を追い越すように航行すると、しばらくして巡視船が間に入ってきたが、「かつてのように警告の汽笛を鳴らすこともなく、漁船を守るポーズをしている感じ」という。

「そんな実情を見せたくないのか26年以降、私たちは出港さえ認められなくなった」と葛城氏は言い、今回の同行申請が「政府によって阻止されたことは到底納得できない」と内幕を明かす。

 要するに、日本の漁船よりも島に近いところを中国公船が遊弋しているが、巡視船は警告もしないし、況してや追い出しもしない状況を告発しているのだ。

 王毅外相が「一部の真相が分かっていない日本漁船」「偽装漁船」と表現したように、現場はすでに主客転倒しているようである。

戦略のない日本の惨状

 1972年の日中国交正常化で訪中した田中角栄首相が尖閣を持ち出そうとしたとき、周恩来首相がさえぎった。

 友好的な雰囲気の中での話題としてふさわしくないということもあったであろうが、「明確化したくない」深謀を秘めていたからであろう。

 国交正常化という時にこそ提起して決めておかなければ、後で問題化して収集がつかなくなる恐れがある。

 特に長期戦略に長けた中国において、しかも都合悪い約束などは反古にして恥じない国との間ではそうである。