ボーテン経済特区が設定されたのは、20年近く前の2003年。一時は、「ボーテン・ゴールデンシティ」として中国からカジノ目当ての観光客などが集まる町として栄えたこともあったが、近年はカジノの閉鎖により廃れ、人口500人ほどしかいなくなったとされる。

 しかし、2015年に中国の習近平国家主席とラオスのチュンマリー・サイニャソーン国家主席が「中国ラオス 磨憨-ボーテン経済合作区建設共同総体方案」に署名すると、風向きが変わった。翌年には、中国ラオス鉄道の建設が始まり、中国からラオスに入ってきた列車が最初に停まるボーテンでは大規模な開発が始まった。

 その開発を主に担っているのが、ボーテン経済特区を90年間リースされることになった雲南省のディベロッパー企業・海誠集団だ。海誠集団は、建設開発、文化旅行、国際物流などの事業を手がける海誠ホールディングスのグループ企業であり、これまでも雲南省を中心にさまざまな開発事業を行ってきた。発展理念として「中国-インドシナ半島経済回廊の建設」を掲げている。

 同社は今後10億ドル以上を投資し、ボーテンを「一帯一路先行区」にすることを目指す。具体的には、ボーテン経済特区の1640ヘクタールの土地に、「国際商業金融展示会産業」、「国際文化旅行産業」、「国際保税物流産業」、「国際教育医療産業」という4大産業を集積し、「未来のラオスの北方経済の中心地」をつくろうとしている。

 こんな辺境の町でそんな大規模な開発が進む背景にあるのは、ボーテンが中国ラオス鉄道だけではなく、「昆明-バンコク道路」、「ボーテン-ビエンチャン高速道路」、「ボーテン-フエサイ高速道路」といった重要なインフラプロジェクトの交差点にもなっているためだ(前出の「中国ラオス鉄道の地図」参照)。

ビル建設は進むが人は見当たらない

 黄金色をしたイミグレーションの門をくぐり、ボーテンに足を踏み入れた。まず目に入ってきたのは、建設中の巨大な建物だった。著者は、以前旅行でビエンチャンやルアンパバーンを訪れたことがあったが、そこでもボーテンのような建物は見たことがなかった。

 建物のデザインは、辺境のジャングルには似つかわしくない欧米風で、建設中の高層ビルを覆うカバーには「一帯一路」というスローガンが掲げられていた。また、通りに立つパネルには、「ボーテン経済特区 タックス・ヘイブン 国際自由港」と書かれていた。ボーテンは、ただの鉄道の通り道というだけではなく、国際政治の渦中にある理念が実行されている場所だったのだ。

ボーテンの建築現場。真新しい建物の外側には「一帯一路」と掲げられている