コロナ禍で閉鎖された広州市のアフリカ人街(宮崎一騎さんの旅行記『ミドルキングダムの冒険』から)

中国広州市や義烏市は世界中からバイヤーや貿易商が集まる交易都市で、大きな外国人コミュニティも形成されている。ところが2020年からのコロナ禍によって、多くの外国人がコミュニティからいなくなった。アフリカ・南アジア市場に貢献してきた個人貿易商たちは今後どうなっていくのだろうか。(JBpress)

(加藤勇樹:香港企業Find Asia 企業コンサルタント)

 日本から見ていると中国は国際化している印象が薄いかもしれませんが、近年外国人人口は一貫して増加しています。国連や中国国内の統計資料によると2005年に約54万人だった外国人居住者は2019年には72万人へと増加しています。

 ビジネスの国際化や多様な人材層の受け入れも進められています。外国人人材への永住権である「グリーンカード(緑卡)」の申請条件が緩和されたほか、アジア最大の留学生の受け入れ国を目指す計画「留学中国計画」が2010年に発表されています(教育中国、2010.9.30、http://edu.china.com.cn/2010-09/30/content_21038056.htm)。中国からの交易路の整備をはじめとする「The Belt and Road(一帯一路)」が注目を集め始めたのは2010年代後半からですが、それと連動した政策だったといえるでしょう。

 国の動きに呼応してか、このころから筆者の周りでも国際イベントが増加していったように思います。在中外国人との交流イベントが行われたり、交易会などに外国人が参加しやすいような配慮が進められたりしていました。

深圳市で行われた外国人向けの中国文化紹介イベント(2018年、筆者撮影)

世界の貿易商が集まる広州と義烏

 国際化が進んだ街の代表例が、広州市と義烏(ぎう、イーウー)市です。あらゆる商品が低価格で大量に集まる集積地であり、世界中のバイヤーや貿易仲買人が滞留する国際都市となったために、大きな外国人コミュニティが形成されました。

 広東省の省都である広州市は古くから対外貿易の拠点でした。すでに2000年前には東南アジアと交易があり、200年前までは中国唯一の対外貿易港として機能していました。世界有数の大規模貿易博覧会(広州交易会)の開催地でもあります(「出展者2万9000の巨大オンライン展示会が開催中」、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60958)。

 歴史的な背景に加えて、広東省が持つ産業的な強みもあります。中国の改革開放以来、広東省はモノづくりの中心地域であり、過去には紡績産業やプラスチック産業、現在は電機通信産業が発達しており、バイヤーが大挙して押し寄せていました。