大阪府警におよそ38年間勤務した筆者・村上和郎氏は、そのキャリアの多くを所轄署の鑑識係として送った。その間に扱った変死体は4000体ほど。「死」の原因は、事件、事故、自殺、病気、老衰など様々だが、それらは凄惨な死である場合がほとんど。人生の悲哀が凝縮された死と言ってもよい。過酷な最期を迎えることになった遺体と日々向き合いながら、村上氏は故人に対するリスペクトにも似た気持ちを覚えるようになった。いつしか同僚から「おくりびと」と呼ばれるようになったのも、その気持ちがあったからだろう。

その村上氏が著した『鑑識係の祈り――大阪府警「変死体」事件簿』(若葉文庫)より、一部を抜粋・再構成して紹介する。

*本記事には凄惨な描写が含まれています。

遺体の表皮の下で蠢く虫たち

 真夏の日曜昼下がり。大阪府と奈良県の境にそびえる金剛山(標高1125メートル)の中腹で、ハイカーが首吊り状態の男性を発見。通報を受けた消防(救急隊)が現地で確認すると、男性はすでに死亡していた。この時点で、本件は救助案件から変死事件に移行されるため、消防は地元の警察署に変死体の「検視」を要請することになる。

 消防からの連絡を受けて出動した私たちは、救急隊との合流ポイントが特定できず、登山道をさまよっていた。このあたりは、携帯電話の電波が届かない圏外エリアだった。救急隊と直接やりとりができないため、意思伝達は無線機を使ってふもとの警察署や消防署を経由することになる。連絡を取り合うのにふだんの何倍も時間を要したが、私たちはなんとか現場にたどり着くことができた。

 遺体は登山道から外れたところにある、小さな谷間を下りた茂みの中で、木の枝にくくりつけた着物の帯で首を吊っていた。持参した折りたたみ椅子を足場にしたようだ。枝からぶら下がったままの遺体は、ぴくりとも動かない。「定型的縊死」の状態だった。

 縊死には「定型的縊死」と「非定型的縊死」がある。前者は身体が宙に浮いた状態で全体重が索状物にかかっている場合。具体的には索状(ひもやロープ)が左右対称に前頸部を走り、そのまま側頸部を上後方に向かい、耳の後ろから後頭部に向かっている。一方、後者の非定型は、それ以外の状態(身体の一部が床や地面に接地している場合)となる。

 周囲の林には死臭が漂っていた。そのにおいの発生源である遺体は、まさに「ムンクの叫び」のような表情をしており、見たところ70歳ぐらいの男性だった。体外に滲み出た腐敗汁ですっかり黒ずんでいたが、もともとは白いカッターシャツにベージュ色のズボンを履いていたのだろう。

 野草をかきわけながら遺体に近づいていく。自分たちの足音とは別にカサカサというかすかな音が聞こえてくる。それは蛆虫(うじむし)たちのざわめきだった。蛆虫の大群が遺体の全身を埋めつくし、もぞもぞとうごめいている。その数は数千、いや数万にはなるだろうか。