養老氏は簡単に触れただけである。それを書き留めたわたしのメモも不十分だったから、以下の文章はほとんどわたし自身の考えである。

「More」と「Here & Now」の2つの報酬系はともに「たのしさ」を求めるが、「More」の報酬系が求めるのは「楽しさ」である。この楽しさは身体的感覚的である。エンタメであり娯楽である。イベントでありサプライズである。ゆえに一過性であり、「楽しさ」は蓄積しない。人間の楽しさのほとんどがこの楽しさである。すぐ飽きるから、次から次へと、“次”を求める。

 だが堀江氏は「(モノを)所有しなくても自分を豊かにしてくれるいろんなものを見つけて、いまはもっと楽しく暮らしている」といっている。堀江氏のいう「自分を豊かにしてくれるいろんなもの」が具体的にどんなものかはわからないが、それをわたしは「Here & Now」の「愉しさ」であると考える。この「愉しさ」は身になり、蓄積する。

「愉しさ」の最低ラインは

 この「愉しさ」の最低ラインは、わたしが「生きる元素」と名付けているものだ。例えば薫風、木漏れ日、真っ赤な夕日、せせらぎ、虫の鳴く音、咲き乱れる花(あるいは「素晴らしき世界」の歌詞にあるような「緑の木々、 赤いバラ、青い空、白い雲、虹の色」)などの美しさに気づくことである。また自分で呼吸できること、歩けること、食べられること、話ができること、つまりこの世に生きている歓びに気づくことである。

 それ以上の「愉しさ」は、個々人で見つけるしかない。65歳と80歳で2回日本縦断徒歩旅行をしたカメラマンの石川文洋氏が「歩いている時は楽しい」といっている。そのほか、読書、映画・音楽・絵画鑑賞。旅行、散歩、写真、句作。なんでもいい。鉄道マニアでも盆栽作りでも、養老さんのように昆虫採集でもいい。的場浩司氏のようにめだかの飼育でもいい。自分が見つけたもので、いくつになっても飽きないもの。

「More」の報酬系は「楽しいもの」であり、「Here & Now」の報酬系は「愉しいこと」である。人は「楽しみ」も「愉しみ」も両方求める。「楽しみ」だけでは空虚で浅薄で際限がないが、それでいいという人もいるだろう。「愉しみ」はあなたの生活を豊かにするよ、といっても、そんなわけのわからんものはいらないという人もいるだろう。

スマホは「More」報酬系の道具

 ところで、現在の堀江氏にとって「唯一と言える所有欲は、スマホぐらい」だという。しかしスマホをもつ理由も「仕事や遊びに、いまのところ最も役立つからだ。けれど、もしスマホ以上に、僕のいまの暮らしを最適化させてくれるツールが出現したら、スマホも秒で捨ててしまうだろう」とはっきりしている。スマホに使われず、あきらかに実用として使っている。かれは何事においても、自分の基準をはっきりもっているのだ。