Pioは、食品スーパー、メガネ屋、薬局、精肉店、婦人服店、ベーカリー、回転寿司屋、洋菓子店、ヘアーサロン、クリーニング店など十数店が共同で運営している。それらのすべての店で、親世代から子どもたちに経営が引き継がれたのである。

 Pioには全国の地域ショッピングセンターから頻繁に視察が訪れる。そうしたショッピングセンターの経営者、店主からは、売上拡大の秘訣とあわせて「次世代にどう引き渡されたのか」をよく聞かれるという。それだけ地方で商売をしていると事業承継が難しいのだ。

 この「奇跡のショッピングセンター」はどうやって生まれたのか。そこには2世代にわたる長い奮闘の歴史があった。それは、“商売”不適合者だった嶋﨑さんが商人、経営者として覚醒し、生まれ変わる軌跡でもあった。

「自分たちでこの地域を盛り上げていきたい」

「郡上おどり」で全国的に有名な郡上八幡。そこから車で約10分北上した長良川のほとりに、Pioは2000年11月にオープンした。

 Pioの前身は、少し離れた国道沿いの場所にあった「ヤマトプラザ」という約10の店から成るドライブインである。もともとは長良川鉄道「郡上大和」駅前にあった商店街の有志が、車社会の到来に対応するため1974年に開業したドライブインだ。当初はそれなりに客が来ていたが、出店していたスーパーの撤退などもあり、次第に客足は細っていく。開業から25年が経った頃、店主たちはなんとかしなければいけないと打開策を模索し、ショッピングセンターへの移行を検討する。全国のショッピングセンターを視察して、開業に向けて土地の目星もつけた。

 しかし同じ時期に、スーパーやホームセンターをチェーン展開するバローも、同じ土地へのショッピングセンター出店計画を進めていた。バローはヤマトプラザの店主たちに「うちのテナントにならないか」と呼びかけた。開発も運営も全部バローで面倒を見る、テナントとして入って家賃だけ払ってもらえればいいですよ、というわけだ。だが、ヤマトプラザの店主たちはこの話に乗らなかった。「我々は自分たちでこの地域を盛り上げていきたい、こちらの主導でなければ意味がない」と突っぱねたのだ。