「そのころ、全国展開の新しい眼鏡チェーンが台頭し始めた影響で、お客様がどんどん減っていました。店に来るお客様は、いつもそうした店と比較するんですよ。『あそこはもっと安いじゃないか』と毎日毎日言われて本当に嫌な思いをしていた。だから、もうここではこの商売は成り立たないと思い込んでいました。
でもその話を佐藤さんにしたら、違う市場に売ったらいいじゃないかと言うんです。なんで同じ土俵で戦うの、なんで大手と同じ商品を同じ客に売ろうとするの、と。考えてみたらそうかもしれない。佐藤さんの話を聞いて、まだ自分の店でもやれることがあるんじゃないかと考え始めました」
Pioには、すでにその変革を始めている店があった。カトー薬局である。カトー薬局では、大手ドラッグチェーンに対抗する安売りをやめ、一人ひとりの客とじっくり向き合う販売スタイルにシフトしていた。客が来ると2時間でも3時間でも話を聞いて、その客にとって最善の商品を提案する。その結果、売り上げは伸び、カトー薬局発の独自のヒット商品もいくつも生み出していた。目の前でカトー薬局が「市場」を転換して成果をあげていることは、嶋﨑さんにとって大きな刺激になった。
「それまでは、利益を削ってでもとにかく眼鏡をたくさん売ろうというスタイルでした。そこから、数は少なくてもいいから一人ひとりのお客様を大切にするスタイルへの変換を図りました。お客様がどんな生活をされて、これからどう生きていくのかをとことん聞いて、お客様に最も適した眼鏡を作る。すると、それまで1万円でしか売れなかった眼鏡が3万円、4万円で売れるようになったんです。中には10万円の眼鏡をつくるお客様もいらっしゃいました。以前は『安くならないの?』と聞かれたら『じゃあ2割引きましょう』などと応じていましたが、そういう値引きも一切やめました。その結果、利益率が見違えるほど上がって、検眼の新しい機械を入れたり、スタッフを雇えるようになりました」
結果が出るようになったことで、嶋﨑さんの“やる気”に火がついた。他の店の2代目たちも後を追った。売り上げ、利益をいかに伸ばすかを互いに学び、話し合い、実行した。その結果、各店の売り上げが伸び、Pio全体の売り上げも回復していった。
一方、佐藤さんは70代の親たちに「そろそろ次に譲ってはどうですか」と事業承継を勧めた。「あなたたち創業者が荒野で獲物を探し回る狼だとしたら、あなたたちの子供はペットだ。子供をペットのままにしておいていいんですか」と問いかけた。最初は「息子には無理だ」と首を振っていた親たちだが、見違えるように働き結果を出す子供たちを見て、次第に気持ちが変わり始める。Pioは世代交代に向かいつつあった。
買い物をするだけの場所ではない
2014年、嶋﨑さんの自立と成長を促す決定的な出来事が起きる。郡上商業開発の社長であり、父親である栄治さんが急死したのだ。脳梗塞だった。
いったん精肉店の店主が社長を引き受けた。その間、嶋﨑さんは見習いとして社長の行くところすべてについて回り、経営の修行をした。そして2018年、満を持して「社長をやります」と手を挙げ、社長に就任した。
40代の若社長誕生を記念し、郡上市長や金融機関、地元企業の役員などを招いて大々的な新社長就任パーティーを行った。パーティーでは、Pioを築き上げ、支えてきた先代と先代の奥さんたちに、これまでの感謝を込めて表彰状を手渡した。この儀式は、世代交代の宣言でもあった。Pioの経営が次世代に移行した瞬間だった。