ヤマトプラザを運営する郡上商業開発の社長は、郡上の商業と住民の生活を自分たちで支えていく、という信念のもと、店主たちをまとめ上げた。そしてバローを相手に一歩も引かず、交渉の末に土地を押さえ、ついにショッピングセンター開発の主導権を握る。社長の名前は嶋﨑栄治。嶋﨑さんの父親である。

あちこちで親子喧嘩が勃発

 こうしてPioは、大手小売りチェーン、バローとの激しい綱引きと交渉を経て、オープンにこぎつけた。新しいショッピングセンターの誕生は地元住民に歓迎され、しばらくの間、業績は好調だった。しかし、やはり人口減少の波には抗えない。2008年に売上は頭打ちとなり、その後ずるずると減少していく。

 嶋﨑さんが郡上に戻ってきたのは、そんな頃だった。東京に出て貴金属やアクセサリーの販売をしていたが、父親が「帰ってこい」というので仕方がなく家族を連れて帰ってきた。東京での仕事も決して面白くはなかったが、郡上でのメガネ屋の仕事は輪をかけてつまらない。ほとほと嫌気がさし、やる気を失った。いろいろな仕事を押しつけてくる父親とぶつかり、そのうち、ほとんど口をきかくなった。

 実は当時、Pioに現れた“不肖の子供”は、嶋﨑さんだけではなかった。同じころ、他の店でも息子たちが郡上の実家に戻ってきつつあった。そして、どこでも同じ事態が起きていた。店を手伝っても仕事がつまらない。店の売り上げが落ちるなか、父親に「こうしてみてはどうか」と改善策を提案しても「そんなことはやらん」と言下に却下され、「まともに仕事ができないのだから、あっちをやっとれ」と言いつけられる。Pioのあちこちで親子喧嘩が勃発していた。

 業績は低下の一途をたどり、後継者はやる気なし。Pioを暗雲が覆っていた。このままでは日本の多くの地方商業施設と同じ道をたどることになる。待ち受けるのは“消滅”だ。

「市場」を変えて商売に目覚める

 だが、Pioのそんな状況に危機感を覚え、突破口を探し求める人物がいた。Pioに店を構えるカトー薬局の社長であり、郡上商業開発専務の加藤三保子さんだ。加藤さんはカトー薬局の3代目。創業者の孫である。

「店の数字がだんだん落ち始めていて、これはまずいと思っていました。こんな田舎の店で数字が落ちていくのは大変なことなんです。手を打たないとどうにもならなくなってしまう。これはいけないと思って、夫(カトー薬局専務)と私でいろいろな経営セミナーに行っていました」

 そんななかで出会ったのが、サトーカメラの佐藤さんだった。岐阜でセミナーを開くと聞いて、行ってみることにした。佐藤さんの話は、よくある教科書的な経営論とは大きく異なっていた。地方都市で自ら繁盛店をつくりあげ、海外の先端的な小売業にも精通する佐藤さんの話は、リアルで、納得できる部分が多かった。

「商売を実践している人の生の声がいちばん効くんじゃないか、何かぴんとくるんじゃないかと思って、Pioのみんなを佐藤さんのセミナーに連れていきました。無理やり引っ張っていった感じです」(加藤さん)

 嶋﨑さんも連れていかれた。「本当に嫌々でした。最初は腕組みして、ふんぞり返って佐藤さんの話を聞いてましたもん。なんだこの人は、うるせえなと思って」。嶋﨑さんは苦笑いをして当時を振り返る。

 だが、結果的に佐藤さんに引き合わされたことが大きな転機となって嶋﨑さんは生まれ変わる。嶋﨑さんに一体何が起きたのか。一言でいうと、「市場」の捉え方の抜本的転換だった。