武田信玄は本当に悪人だったのか?
――「目の前の人の心」を動かすことができた人が、武将としても名を挙げる。その代表格が上杉謙信だったわけですね。研究をされてきて、ほかにもそうしたタイプの武将はいましたか。
乃至 織田信長もそうですが、武田信玄もそうであったのだろうと思います。信玄のイメージというと、「悪人で性格が悪い」などと言われることが多い。
でも、信玄の重臣だった人たちがちゃんとその人柄や思考の偉大さを語り残している。武田家が滅びても、そうやって証言が残っていくということは信玄周辺の人々にとってそれぐらい人間的な魅力に満ちていたのでしょう。
強かっただけでは、後世まで名前は残りませんし、語り継がれません。
これは信玄が自己宣伝をしたのではなく、家臣たちをそれぞれ個人として真正面から向き合っていた証左ですね。だから、重臣の一人とその遺臣たちが『甲陽軍鑑』という歴史書(の原型)を大成させて、その遺徳を伝え残すことになったのです。信玄が指示して書かせたわけではない。
あの時代に、歴史書を作るという習慣はないのに、これができたのは、遺臣たちの間で、信玄という個性が歴史として語り残すべきものだという共通認識があったからに他ならない。ほかの武将にはないことです。
――名前を残す、語り継がれるというのは「人の心を動かした」証でもある。
乃至 そうですね。あの時代、武田家のなかでは信玄が特にすごかったんじゃないかなと思います。勝頼もすごかったでしょうけど、信玄はちょっと別格ですよね。同じく滅びた今川や北条でもここまで異彩を放ってはいない。
個人の心を摑むという点で、武田信玄、織田信長、上杉謙信は特に傑出した人々であったのだろうと思います。<第二・三回へ続く>