「歴史を学ぶ」ではなく「歴史に学ぶ」。そこには現代にもつうじるものの見方・生き方へのヒントがある。

歴史家・乃至政彦氏の新著『謙信越山』が話題を呼んでいる。

上杉謙信という稀代の戦国大名を主人公に、彼が15年にわたって繰り返した関東遠征=越山の理由を掘り下げた力作だが、上杉謙信の視点だけでなく関東の武将たちの言動を一次資料より丹念に掘り下げている。

さまざまな景色から浮かび上がる「謙信像」は、歴史の見方、ひいてはものの見方の一助になっている。著者・乃至政彦氏に聞く「歴史で磨く思考術」。(全3回)

どうしても「勝ちたかった」男

――これまでも「上杉謙信」について記されてきましたが、『謙信越山』(※1)を書いて改めて感じた謙信像とはどんなもので、何を伝えたいと思われたのでしょうか。

乃至 今回、特に書きたかったのが、上杉謙信は加害者でも救世主でもないということでした。謙信が語られるとき、多くは「義侠者」あるいは「略奪者」どちらかで、いずれも極端なことが多い。そういうイメージを取り払いたかったわけです。

「第一印象」や「世間の皆さんが言っているから」、はたまた「最近の研究の傾向だから」といったものに依存せず、謙信本人の声を聴く気持ちで当時の資料に寄り添う。その点で、色々な発見があったと思います。

 実をいうと本書は、周辺人物――つまり謙信に関係した人たちで、主に東国を舞台に生きた人々ですが――も主人公である、という気持ちで書きました。群像劇のようになったわけですが、私としてはそこを描くことで見えてくることがあるだろう、という思いがありました。

 具体的には、太田資正(現在の埼玉県や茨城県あたりを治めた)や佐野昌綱(栃木県あたりを治めた)、簗田晴助(千葉県、茨城県あたりを治めた)など多くの武将を書いたわけですが、そうした周辺人物が見た「上杉謙信」ですね。

※1「謙信越山」乃至政彦・著、詳細ページはこちら
https://jbpress.ismedia.jp/feature/kenshinetsuzan

――「上杉謙信」は乃至さんにとってどんなイメージの人ですか。

乃至 いまの時代ではやらないようなことをやった人物。誰かをライバルに定めたとき、全身全霊を尽くして対峙しないと勝てないわけですが、人間はそれをどこまでやり尽くせるのか、その一例を示した存在かな、と思います。

 史料を読んでいくと、謙信は「どうしても勝ちたい」「是が非でも勝利したい」という意思が強い人物であったと想像できます。例えば武田信玄にどうしても勝ちたい。織田信長にどうしても勝ちたい。

『謙信越山』に書きましたが、謙信は関東の力を借りて上洛し、「幕府を自分の望む形にしたい」と考えていたんですが、関東からは思ったような協力を得られなかった。それを悟ったとき、当時で言えばもう晩年の40代なわけですが、「これは一人でやるしかない」と考え、行動する。一人で上洛し、一人で織田信長と戦う、と。

――なるほど、諦めるとか、誰かに意思を継ぐとはならない。どうしても成し遂げたいことがあるから、何がなんでもやるしそれを全力でやる。

乃至 はい。なんとしても勝ちたい。そういう意思のある人だと思います。