「口コミ」の時代は「人柄」にこだわる
――だからこそ、賞賛も批判もあり、新しい存在にも見えた。光と影が両方ある。起業家のようですね。
乃至 人間って単純ではないですよね。これは現代人でもそうです。「凡人」と言われる人だって色々な側面があります。聖人君主になるときもあれば、悪人になるときもあるし、単なるスケベなおっさんになるときもある。謙信もまたそうです。
その謙信の一部分で、ほかの人間がなかなか持たない側面を探すのが楽しいですね。
「義の男」と言われることも多いですが、戦国の時代ですからダークな一面もたくさんあっただろうと思います。
実際に人を殺さなきゃいけないときも一杯あったでしょう。それが敵のときもあれば、裏切ろうとする仲間だったりするかもしれない。
そういうことを乗り越えるとき、今の時代であれば、例えばIT業界のトップの人なんかはSNSなどを駆使して自己宣伝(自らの長所をアピールすること)ができるわけですよね。
でも謙信の時代にはそんな便利なツールはありません。だから自分の評価を決めるものは全部「口コミ」なんですよ。だから気の利いたポーズを取ってバズろうとするよりも、自分自身の人柄を見てもらおう、とか相手の心をつかもう、とする方が合理的になるんです。
これはSNS的な「大衆」ではなく「個人の心」をつかもうとしている。
そういったところは謙信を見ていると本当に面白いですね。織田信長もこうしたことに腐心した武将ですが、いずれにせよ「心をつかもう」という意識は今と違う形で当時は存在していたんです。
――興味深いお話です。漠然としたマスに向けてではなく、目の前にいる人に対して、真剣に彼らを動かすことができる人にならないといけない。そうじゃないと前進できない。
乃至 そうです。目の前の人の心をつかむことで、その人がほかの誰かに「あの人はやっぱりすごい」「命を捧げたくなる」と言ってくれるかもしれない。
これを伝播できた人が今「英雄」と呼ばれている人たちなのかなと思います。
――現代のようなSNSもなければ、テレビなどもない。瓦版に書いても読める人も限られますね。
乃至 現代のメディアに近かったものを挙げるとすれば、人が集まる神社や寺に捧げられた願文でしょうか。神社や寺は今でいう博物館の役割があるでしょうし、瓦版のような役割もあったでしょうから、そこで願文を見たり、聞いたりして「この人はこういう考え方なんだな」と伝わったりする。
わたしたちのようにSNSなどに慣れてしまうと想像しづらいですが、人の心をどうつかむか、いかにして世間を味方につけるかということには苦労したのだろうと思います。
もちろん、ほかにも伝達手段はあります。例えば、一斉に同じ内容の手紙を送る。大河ドラマ「天地人」の中で有名なシーンとなった「直江状」はその例になるでしょうか。「徳川家康は悪い奴だ」と多くの武将たちに伝えようとしたものですね。ああした手法はまず多用できるものではなかった。
それに民衆に直接、声を届けることもできない。やっぱり今とは違うんですね、情報の伝え方が。
だからこそ、昔の言い方でいう「男を売るぞ」みたいな意識も芽生えるわけです。