2004年12月、全日本選手権で演技をする都築奈加子・宮本賢二組。写真=アフロスポーツ
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(取材・文:松原 孝臣 撮影:積 紫乃)

引退後の失意を乗り越えて

 日本フィギュアスケート界きっての振付師、宮本賢二が振り付けを始めたのは、2006年のこと。

 スケートを始めたあと、はじめはシングルの選手として取り組み、その後アイスダンスを始めた宮本は、全日本選手権優勝や世界選手権出場など活躍し、06年に引退した。でもそれは、宮本が意図したものではなかった。

 まず、パートナーが引退することになった。宮本は次の相手を探したが、どうしてもみつからず、競技生活の続行を断念せざるを得なかったのだ。心ならずも引退となったため、ショックは大きかった。宮本は「(引退が決まった後は)疲れていた」と表す。

「もう、1カ月くらいは人と話さず、人と会わず。何もすることなく。地元(兵庫県)の方にずっといました」

 それでも日を重ねていくうちに、気持ちを立て直していった。

「やっぱり周りの人の支えですね。自分の先生や応援してくれる人が、『がんばり』と言ってくれて」

 いったい何をすればいいのか・・・浮かんだのが振り付けという役割だった。

 選手の頃から、振り付けを考えるのが好きだった。

「自分の練習が終わったときなどに、音楽がかかっているのを聴いて、『この曲だったらこの形がきれいだよな』って勝手に練習したりしていました」

 競技のうえでも、動作などの研究を繰り返していた。

「もともと手足も短いので、世界で戦うときにコンプレックスにならないよう、どれだけきれいに見せようかといつも考えていました」

 振付師になるための素地は、それらの中で自然と築かれていた。宮本は、振付師として一歩を踏み出した。