廃墟に残る大正モダンの残り香
満すみが建てられたのは、ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落した1929(昭和4)年のこと。この時代の遊廓は、芸者を呼び、茶屋で遊興した後に妓楼に上がるという伝統的なスタイルではなく、より短時間で安価な性サービスに移行しつつあった。いわば、「性サービスのコンビニエンス化」が進んだ時代だ。
この動きにあわせて妓楼建築も変化した。それまで遊廓といえば、江戸の吉原遊廓に代表される豪壮な木造建築だったが、大正時代に入ると、タイルや丸窓、ステンドグラスの採用など、西洋建築の要素を盛り込んだモダンな「カフェー」が人気を集めたのだ。
満すみを見ても、バースペースの内装はタイル張りの床に漆喰で仕上げたと思われる塗り壁で、日本文化が西洋文化と融合した大正ロマンの残り香が感じ取れる。ここで酒を飲みながら女性を待ち、あるいは女性と歓談し、その後、2階の座敷に上がったのだろう。
戦前、戦後の飛田遊廓では、お目当ての娼妓を指名し、相手の準備が整った段階で2階の座敷(小部屋)に上がり、ことを済ませた。その意味で言えば、満すみの2階にある13室の座敷はセックスするためだけの場所である。だが、そのような場所にもかかわらず、妓楼の各座敷には様々なこだわりと遊び心がある。