韓日協定当時、慰安婦は問題にもならず

 一部の慰安婦は、自分の意思に反して、日本の警察や軍人によって「強制連行」され、慰安婦にされたというが、それは初期の証言には見られない。例えば、両親など家族による人身売買や知人の就職詐欺で慰安婦になったという証言だ。

 現在も生存し「強制連行」されたと主張する元慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)氏は、初期には「国民服に戦闘帽を被った男が服の包みを一つ渡し、その中にワンピースと皮靴があるというので、包みを覗いてみると、確かに赤いワンピースと皮靴が見えた。それをもらえる子供心がどんなに嬉しかったのか分からない。 そのためほかのことは考えられず、すぐについて行くことになった」と証言した。

ソウルの慰安婦増(写真:YONHAP NEWS/アフロ)

 ところが、数年後には「寝ていたときに軍人に捕まった」と言葉を変えた。このように一貫性のない発言を証拠として採択することはできないのだ。

 ソウル中央地裁は、元慰安婦の損害賠償請求権は「1965年の韓日協定の適用対象に含まれていないため、請求権が消滅したとはいえない」と述べた。1965 年の請求権協定ですべての問題が「完全かつ最終的に解決」されたことは再論を要しない。韓日協定当時、韓国や日本が慰安婦問題をともに解決しなければならない外交的な問題という認識さえしなかった。

 つまり、両国間でいかなる方法であれ、解決しなければならない問題、あるいは日本が行なった不法行為として損害賠償をすべき問題だと認識しなかったということだ。当時の制度や認識において「人道に反する犯罪」どころか、一般的な犯罪行為でもなかったものを、今になって日本の歴史的、反人道的悪行と規定し、遡及して罪を問い、損害賠償を求めることはできない。

 まず当時、韓国と日本では日本軍慰安婦の存在は知られていなかった。それを“犯罪”と認識していなかったのである。

 1951年朝鮮戦争当時、韓国軍は士気を高揚させ、性的欲求が解消できなくなったことによる副作用を予防する目的で、「特殊慰安隊」を設立した。韓国陸軍本部が1956年に公式編纂した「6.25事変後方戦史」の記録だ。韓国陸軍は、日本軍慰安婦をモデルにしたに違いない。

 また、当時も米軍慰安婦、連合軍慰安婦が存在した。軍人を相手にする慰安婦と慰安所の存在は、戦争という特殊な状況で、貧しい女性たちと性を買おうとする莫大な数の若者たちがいたという一般的な条件が結合されて発生した、ただ当たり前のことだった。

 韓国政府が韓日国交正常化に向けた約15年の交渉の過程で、一度も日本軍慰安婦問題を提起しておらず、韓日協定に激しく反対した学生と野党もその問題を全く提起しなかったのも同じ理由からだ。

 繰り返しになるが、韓国が被害を受けた問題として日本に何らかを要求をすべき事項、日本政府の不法を指摘し、賠償を要求する事項ではなかったのである。 日本では、1991年に韓国人元慰安婦の金学順が初めにカミングアウトをして韓国と日本でビッグイシューになってから今まで、自分が日本軍慰安婦だったと明らかにした日本人女性はただ1人もいないという事実も参考に値する。