漱石の言い方に倣えば、いま日本は「露悪の時代」に入っているような気がします。自分の気持ちに正直になろうという人が増えている。その気持ちが、「我妻善逸」に人気が集まったり、霞が関で働こうという人が減ったりするという現象にも表れているのではないでしょうか。
時代が求めている菅総理の志向と人柄
そこで菅内閣の話です。菅総理はおそらく国家としての機能や実利を、極めて正直に追求しようと考えているように思います。別の言い方をすれば、「夢」とか「国家ビジョン」のような「建前」にはあまり関心がない。
もちろんはっきりと口に出してそう言っているわけではありませんが、「夢とか国家ビジョンとかを語ってもしょうがないだろう。美辞麗句を連ねての弁論・演説なんて、背伸びしたってできない。俺は叩き上げの実務家だ。国家ビジョンを語るより、国のために必要だと思う実務、国民の生活に直結する実務を積み重ねていく。それこそが自分がなすべき役割だ」と割り切っている・開き直っている感じが滲み出ています。
それを「政治家はビジョンを示さなければ」と批判する人もいますが、時代は菅総理のような正直さを求めているのだろうと思います。ビジョンを語ったりするわけではありませんが、朝から晩まで、ともすると土日も休まずに「コロナ対策」や「デジタル庁」、「押印廃止」など、目の前の実務を着実にこなしていこうという姿勢が好感されています。これは国家ビジョンを提示し、休日には颯爽とゴルフをしたりして長期政権を達成した安倍総理とはある意味対極にあるスタイルとも言えますが、今回の政権交代は時代の雰囲気の変化を象徴しているようで、極めて興味深い現象です。
ただし、そうはいっても、政治は中長期、特に長期を見据えた動きが非常に大事です。国家の20年後、50年後、100年後を考えて手を打つのはやはり政治家の役目です。そこへの目配りは忘れてほしくありません。
私がいま懸念しているのは、だんだんと日本の「食い扶持」がなくなってきていることです。7-9月のGDP速報値が公表され、コロナショックから急回復していると報じられましたが、それとてアメリカや中国の回復ぶりに比べたら弱いものです。いま経済面での日本の存在感がじわじわ低下しているのです。この状態がダラダラ続くと、私たちの子どもや孫の時代には、国家としての食い扶持がなくなっていき、極めて貧しい社会になってしまうかもしれません。そうした状況を変えていくためには、前回このコラムで指摘したように優秀な人材が少しで多く生まれるような教育システムを整える必要があります。1年後、2年後に成果が見えるような実務ではありませんが、教育の規制緩和はすぐにでも大胆に進めていかなくてはならないのではないかと思うのです。
(参考記事)菅首相が「教育の規制緩和」を最優先にすべき理由
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62720
経産省の官僚だった私が、霞が関を飛び出し、政策立案と人材教育などを主要な業務とする「青山社中」を立ち上げてから、先日11月15日に10周年を迎えることが出来ました。役人の世界を離れたのは、私なりに人材教育の重要性を痛感したからでもあります。日本の食い扶持を作っていけるような人材を育てるべく、今後も精進していこうと10周年を迎えて意を新たにしています。