ベトナムを取り巻く国際情勢についても、日米が推進する「自由で開かれたインド太平洋」構想、中国が推し進める「一帯一路」計画、インドの「アクト・イースト」政策の3つが同時進行中であることに触れて、「いずれのビジョンにも偏ることなく、微妙なバランスを保つことを旨とする」と明記され、ベトナムが独自の立場を貫く方針であることが伺われる。

 また、南シナ海問題では、中国へ強い警戒感を示しつつも、「ベトナムは国際法に従い、領海に対する主権、主権に準ずる権利、および管轄権を断固として堅持する・・・ASEAN諸国とともに全面的かつ効果的制御を行い、中国との行動規範(COC)を早期に締結するよう努力する」とある。つまり、南シナ海問題を自国だけの問題とせず、ASEAN諸国全体の問題として共同戦線を張れるよう外交活動するのと同時に、中国とも対話路線、協調政策を実施しようという、「両面外交」を展開する姿勢を明示しているのである。

米国の中国製品排除を受け、ベトナムを「隠れ蓑」に使い始めた中国企業

 ベトナムの「両面外交」とは、陸続きの巨大国家・中国との長年にわたる確執から生まれた「智恵の結晶」だと言ってよいだろう。

 つい忘れがちだが、ベトナムは中国と同じく共産党の一党独裁体制国家である。両国には共産党同士の強いパイプがあり、コロナ禍にあった今春でも頻繁にウェブ会議を開くなど、常に緊密な関係を保ち続けている。それがベトナムの国家の安定に一役買ってきた面はあるが、二十世紀以降の歴史的経緯が、ベトナムにとっては大きな教訓になっている。

 1945年、第二次世界大戦後、ベトナムは南シナ海のパラセル諸島(中国名は西沙諸島)の一部を実効支配し、少しずつ支配範囲を拡大してきた。だが1974年、中国が「領有権」を主張して紛争が生じ、武力で勝利した中国が西沙諸島を領有したと宣言。陸地の領有権をめぐっても、ベトナムがカンボジアの一部の領有権を主張して進駐したことから、中越紛争が勃発した。中国は1988年、さらにスプラトリー諸島(中国名は南沙諸島)をめぐってベトナムと衝突し、勝利した中国は南沙諸島も入手したと宣言した。

 関係が改善されたのは1989年、ベトナムがカンボジアから撤兵したことで和解し、1991年に中国が「関係正常化」を宣言した。それ以来、両国の国境地帯での交易が盛んになり、ベトナムには中国から工業製品、繊維、原材料などが輸入され、ベトナムも原油を中国に輸出するなどして経済が向上した。