◎日本の未来を見据えていた12人(第10回)「北条泰時」
(倉山 満:憲政史研究者)
これほどドラマの主人公にしづらい偉人は、いないのではないだろうか。
揉め事が起こる前に解決してしまう。だから、ドラマが起きない。地道な仕事だけを黙々とこなす。派手さが無い。
そして、業績がわかりにくく大きすぎるので、その偉大さが理解できない。
鎌倉幕府第三代執権・北条泰時とは、そのような人物である。
頼朝の武家政治を模範に
南北朝の動乱期、宮方(南朝)の総帥として武家方(北朝)と戦った北畠親房は、歴代天皇の年代記として『神皇正統記』を記し、南朝の正統性を称えつつ、鎌倉幕府のような武士の世の再現を目指して足利幕府に従った武士たちの非道を糾弾した。
だが、その『神皇正統記』で激賞されている人物が2人いる。1人が、前回の本欄で取り上げた源頼朝。もう1人が今回の主人公、北条泰時である。親房は、「頼朝泰時がいなかったら日本は無かった」とまで激賞している。
敵であるはずの親房にまで、このように賞賛される北条泰時とは、如何なる人物であったのか。
泰時は、寿永2年(1183年)生まれ。源平合戦の渦中である。父は北条義時。頼朝の側近だったが、目立たぬ存在であった。祖父は時政。頼朝の義父として側近の地位にあった。頼朝の妻が北条政子。時政の娘で義時の姉である。