携帯電話料金が安くなったり、不妊治療に保険が適用されたりするのに反対する国民はあまりいない。だからこそ、国民は菅内閣を高く評価したのである。任期はわずか1年である。その間に成果を上げようと思えば、国民が成果を実感できるように実務的に仕事をこなしていくしかない。単なるリリーフから本格政権になれるかどうかは、小さな仕事の積み上げの結果次第である。

 ところが、いきなりイデオロギー型政治手法が突出してしまった。学術会議問題は、右派による左翼学者の切り捨てとイメージされたのである。地味で、裏方に徹し、政治色がないことが菅のセールスポイントである。それが、就任1カ月にして、学問の自由を弾圧する右寄りの強権政権という烙印を押されることになったのである。

中曽根元首相への「弔意表明要請」も判断ミス

 17日に実施される故中曽根康弘元首相の、内閣と自民党による合同葬儀について、文科省が国立大学に弔意表明を求める通知を出したことも、同じ文脈で受け取られている。歴代首相のうち、小渕恵三(2000年)、鈴木善幸(2004年)、橋本龍太郎(2006年)の葬儀の際にも、同様な通知を出しているそうだが、今回はタイミングが悪すぎる。日本学術会議の問題が争点になっているときに、火に油を注ぐようなことをするのは政治的に賢くない。そういうことを判断できる側近が、菅首相の周辺にはいないのか。

 古き良き自民党が守ってきた保守政治は、寛容という姿勢である。多様な意見を認め、少数派の存在を許すということである。かつての中選挙区制の下で、三角大福中という五大派閥が競争していたときには、自民党は右から左まで様々な思想信条の政治家を包含する国民政党、総花政党であった。それが、自民党の強みであり、主流派と反主流派の戦いは、野党との対立よりも激しいくらいだったのである。

 それが、小選挙区制に代わり、首相官邸に権力が集中するようになると、寛容も多様さも失われるようになってしまった。とくに、8年近く続いた安倍長期政権でその傾向がさらに強まった。

 私が菅首相に期待するのは、自民党に寛容や多様さを回復し、反主流派も、そして野党の意見も包含する懐の大きさである。

 過去の首相を振り返ってみると、安倍首相の他に、「戦後政治の総決算」をうたった中曽根康弘首相がイデオロギー型首相であった。

 逆に、実務型と言えば、たとえば、鈴木善幸首相や福田康夫首相があげられる。前者は大平正芳首相の急死に、後者は安倍首相の病気による辞任に伴い、首相の座に就いた。いずれも、予期せぬ出来事に対応したリリーフ登板であった。

 前者は、1980年7月17日から1981年11月30日まで約1年4カ月、後者は2007年9月26日から2008年8月2日まで約10カ月続いた内閣で、いずれも短命に終わっている。そして、両者とも、「人心一新」を掲げて、自らの意志で身を引いているが、酷評する者は政権の投げ出しとしている。

 菅首相の置かれている状況は、鈴木、福田両首相とは異なるが、実務型政治に固執したほうが、党内外の軋轢を生まないで済む。無用な波風を立たせることは、長期政権への道を塞ぐと心得たほうがよい。

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