『科学哲学へのいざない』を上梓した佐藤直樹(さとう なおき)東京大学大学院総合文化研究科特任研究員・同大名誉教授

「科学」といわれるものには、理論体系を追求する科学研究と、ものづくりを目的とする技術開発の2つがあり、この2つは区別すべきだ。しかし、多くの人はその両者を同一視していたり、混同していたり、技術開発の方だけだと考えたりしている。

 例えば、青色発光ダイオードやオートファジーの発見、iPS細胞の開発やAI(人工知能)は果たして科学なのか、技術なのか。科学者が保証する食品や環境の安全性とは本当に安全ということなのか。遺伝子を自由に改変することはできるのか、またそれは安全なのか。AIは万能なのか、人間を凌駕しうるのか。

 これらの問いに対して、科学がよって立つ根拠は何か、どれだけ正しいのか、科学で可能なことは本当に何でも実際にやっていいのか。そもそも科学知識とは、どのように作られてきたのか──など、科学の正当性を外側から審査し、再評価することが科学哲学の役割である。

 科学は理系、哲学は文系といった分野を超えて、あらゆる知識を総合して問題に対処していかなければならない時代の科学哲学について、生物学の立場から問いかける。

 『科学哲学へのいざない』(青土社)を7月18日に上梓した佐藤直樹(さとう なおき)東京大学大学院総合文化研究科特任研究員・同大名誉教授に話を聞いた。(聞き手:尾形 和哉 シード・プランニング研究員)

科学そのものを動的な活動と捉える

──本書の執筆動機と内容を教えてください。

佐藤直樹氏(以下、佐藤):一昔前は「科学といえば物理学」という印象がありましたが、現在では生物や人間など生命に関わる知識の重要性が圧倒的に増しています。ところが科学哲学の分野では、いつまでも物理学中心の議論が続いていて、とても現在の科学を巡る状況に対応できていません。もっと生物学の科学哲学を世の中に普及させたいと考えて、本書を執筆しました。

 本書は科学的推論、科学的説明、実在論とともに近代科学の歴史や科学革命、さらに生物学と心理学における哲学的問題も扱っています。科学と技術が社会において果たす役割にも重点を置きました。サミール・オカーシャの『1冊で分かる科学哲学』をベースにして、オカーシャの考えと私の考えを対比する形で話を展開しています。

 本書の特色は、今ある科学知識を絶対に正しい知識として見なすのではなく、科学そのものを動的な活動と捉えること。常に知識を作り続ける活動であり、未来に向かって開かれた知識である、とした点にあります。その意味で宗教や偽科学と異なることを明らかにしました。

 酵素研究の歴史を追いながら、酵素の実在性についてまとめました(第6章)。今ではものを分解する酵素は、洗剤にも入っているほど身近ですが、もともと酵素はきわめて曖昧なもので、19世紀には微生物との違いすら分からないほどでした。

 しかし分子生物学の発展とともに、酵素ははっきりとした物理的な実体として認識されるようになります。もし酵素が生物共通の素材であり、どの生物の酵素も同じ性質であれば、生物の機械論的な理解が進むはずでしたが、実際には酵素はそれぞれの生物ごとに微妙に異なる性質を持ったものでした。つまり生物の一部のような位置づけに逆戻りしてしまったということです。これは科学の進歩が概念の明確化につながらない、という逆説的な状況を示しています。