(写真はイメージです/Pixabay)

 ドラマや小説、漫画に登場し、変幻自在な忍術を繰り出す戦国時代の「忍び」(忍者)。これまで忍びはフィクションの中だけの存在と思われていたが、断片的に残された史料から、忍びは実在し、戦国時代の合戦においてきわめて重要な役割を担っていたことがわかってきた。忍びとは一体、何者だったのか? 気鋭の歴史学者、平山優氏が忍びの知られざる実態を明らかにする。(JBpress)

(*)本記事は『戦国の忍び』(平山優著、KADOKAWA)から一部を抜粋・再編集したものです。

「忍び」抜きの戦いは考えられなかった

戦国の忍び』(平山優著、KADOKAWA)

 戦国期は、「忍び」の数が、日本史上最も多かった時代であることは間違いない。それは、いうまでもなく戦乱の時代を勝ち抜くためにも、彼らの存在が必要不可欠だったからである。

 戦国期の大名や国衆らは、忍びを、若党・悴者(かせもの)などの下級の侍として、あるいは足軽として大量に雇用し、合戦に際しては、彼らのアウトローとしての技量を存分に発揮させ、味方を勝利に導く努力を怠らなかった。

 忍びとして活動する者たちの多くは、悪党(山賊・海賊・夜討・強盗)の出身で、武家からは蔑視され、「悪党風情」などと呼ばれていた如く、低く見られがちであったようだが、戦争に際しては、彼ら抜きでの戦いは考えられず、その意味では実に頼りになる連中だったのである。