将門の妻子

 天慶3年(940)2月13日(あるいは14日)、新皇はほどなく立ち直った貞盛と、それを支援する藤原秀郷を相手に戦って、その途中で「神鏑」を受けて死ぬ。将門夫人がどうなったかは不明である。

 伝承では、将門には「桔梗前(ききょうのまえ)」という愛人がいて、彼女が将門を裏切って、秀郷に内通したことから、新皇は無残に滅亡したという。しかし桔梗前は実在しない架空の人物であるだろう。史実の将門は、良兼の娘のみを愛したと思われる。

 将門の死から20年後の天徳4年(960)、将門の男子が上洛するという噂が立ち、検非違使たちが動員されたが、何も大きな事件は起こらなかった。将門の未亡人が密かに育てた自慢の息子だったのだろう。この男子がその後どこでどう過ごしたかはわかっていない。

 将門には娘たちもいて、そのひとりは滝夜叉姫という名前で語り継がれている。18歳で妖術使いの達人となり、弟(上洛騒動の男子)や旧臣たちを呼び集めると、日本最大の妖怪戦争を起こしたという。