歌川国芳「相馬の古内裏」(部分) 滝夜叉姫(左)は平将門の遺児とされる伝説上の人物。

(乃至 政彦:歴史家)

将門を愛した女

 平将門は関東を制圧して、「新皇」を名乗ったがため、京都で悪王退治の祈祷が行われた。『将門記』によると、その際に神が鏑矢「神鏑」を「賊方」すなわち将門の方角に向けて放ったという。そしてその約一ヶ月後、将門は平貞盛と藤原秀郷と戦闘している最中に、その「神鏑」を身体に受けて落命した。

 俗説では、眉間やこめかみに刺さったというが、これらは江戸時代以降の記録にのみ見える話で、まともな史料は命中先を書いていない。「流れ矢に当たった」とも言われるが、これも何ら根拠のない近現代の空想である。

 そもそも京都の儀式で、人界ならぬ空間から放たれた飛び道具が《太陽槍》のごとく関東にいる将門に刺さるはずなどない。『将門記』はここまで徹底的に合戦のリアルを描いていたが、なぜかここだけファンタジー描写を通している。「神鏑」は何かの暗喩かもしれない。

 ともあれ将門は死んだ。その弟たちは妻と離縁して、寺院に助けを求めた。その配下は落ち武者狩りに遭って、次々と殺されていった。関東史上最大の争いが終わったのである。

 なお、将門にもひとりの妻がいた。名前は不明だが、将門と敵対した平良兼の娘である。まずはどうして2人が結ばれたのかを説明しよう。

 承平元年(931)頃、京都で働いていた将門は、父の急死で帰郷することになった。すると良兼が、自分の娘を娶せて懐柔しようとした。良兼は将門亡父の兄だったのである。

 しかし将門はこれを拒んだ。この時代は「婿取り婚」が普通で、良兼としてはこれを理由に将門を自らの屋敷に置き、弟の遺領を管理・運営するつもりでいたのだろう。遺領には関東屈指の製鉄所(と広大な牧場)があった。これがあれば関東の覇権を一手に握れる。良兼は弟の死を好機と考えたのだ。この製鉄所をラピュタとすれば、将門はシータで、良兼はムスカのようなものであった。

娘の強奪事件と争族の勃発

 ところが良兼の計画はもろくも破れた。婿取り婚に反対した将門が、その娘を奪って自領に居を構えたのだ。こうして決行された「娶り婚」は、手荒な強奪事件であったらしく、良兼は将門を恨んだ。だが、娘はまんざらでもなかったらしい。彼女は、爽やかで大胆な将門が、好きだったのだろう。

 良兼は娘の幸せを考えると、これ以上の手出しは控えなければならなかった。それに古代の武夫は中世の武士と違って、個人や御家の問題ごときで全面戦争などしない。もっと穏やかな思考ができたのだ。

 しかし良兼の兄・国香が、仲間たち(彼らの独断かもしれない)をけしかけて、将門を襲撃した。そして返り討ちに遭い、国香本人も殺害された。これに怒った良兼とその一派は、将門相手に全面戦争を開始するのである。