月岡芳年「芳年武者无類 相模次郎平将門」(部分) 国立国会図書館

(乃至 政彦:歴史家)

 これから3回にわたり、没後1080年となる「新皇平将門」をテーマとするコラムをお届けしたい。兵制の話は『戦国の陣形』(講談社)の続編『戦う大名行列』(KKベストセラーズ)に、平将門については『平将門と天慶の乱』(講談社)に詳述していることを最初にお断りしておく。

武士とクロスボウ

 さて、今回のテーマは、将門とクロスボウである。

 あまり関連のなさそうな組み合わせに思われるかもしれないが、ちゃんとまじわるので安心してもらいたい。

 大きな論争になりやすい話題として、「なぜ日本の武士は弓を使っても、クロスボウは使わなかったのか」という問題がある。

 実際にクロスボウは、古代中国で広範囲かつ長期間「弩」として使われた。近年まで狩猟用として使用する民族がいたというぐらい使い勝手のいい道具である。

『寧寿鑑古』の弩機 国立国会図書館

 機械式の兵器ではあるが、別に扱いが難しいわけではない。整備と管理はむずしかったとは思う。だから、中国では大量生産された。扱いが簡単でも、壊れた時に補充が容易な体制がなければ、維持できるものではなかったはずだ。

 中国の兵器と兵制をほぼそのまま継受した律令制時代の日本でも、弩は正式採用されて、弓馬、刀剣、槍と並んで重用された。それが武士の時代になると、まったく使用されなくなってしまう。

 中国や欧米など、海外では、火器が現れても愛用され続けたが、日本では中世を前にしてなぜか完全に消滅してしまうのである。

 これは、武士の兵器観や武芸観によるという捉え方もあるが、決定的な説明にはなっていない。歴史の分岐が少し違っていれば、武士もクロスボウを使っていた可能性はあるだろう。それよりも、もっと単純な理由から、そうしたルートが断たれてしまったように思われる。

 この謎を解く鍵を、平将門に求めてみよう。