◎日本の未来を見据えていた12人(第3回)「嵯峨天皇」
(倉山 満:憲政史研究者)
我が国には、雨の日も風の日も、嵐の日もあった。時に戦乱や災害、疫病で民が苦しんだこともあった。しかし2680年間、日本は日本であり続けた。日本とは何か。皇室と国民の絆である。万世一系の皇室が一度も途切れることなく続いた。他の国の君主のように、民から搾り取り、危機に民を見捨てることはなかった。
長い歴史の中では暗君もいたが、亀山天皇や後醍醐天皇のような暗君すら、危機には民の為に祈った。元寇に際し亀山天皇は我が身に代えても国を守ろうとし、飢餓に際し後醍醐天皇は天に対し己の不徳を罰せよと願った。我が国において皇室を廃止しようとする勢力が多数を占めることはなかったし、現に一度も革命は起きていない。
最近の1000年においても、藤原、平、源、北条、足利、細川、織田、豊臣、徳川と、皇室を凌駕する権力者は数多存在した。その中には皇室を蔑ろにした者もいた。だが、皇室は一度も途切れることなく続いている。
この秘密は、第52代嵯峨天皇にあると言えば驚きだろうか。歴史教科書では、「空海・橘逸勢とともに三筆の一人と言われた書道の達人」「薬子の変を機に検非違使や蔵人頭を置く」「弘仁格式を整備」とのみ記述されるが、これで何のことかわかる人間などいるはずがない。
だが、日本人ならば知っておくべき偉大な天皇なのである。
行財政改革に務め、治安維持を強化
嵯峨天皇は、延暦5(786)年生まれ。父は第50代桓武天皇、平安京遷都と坂上田村麻呂による蝦夷平定で知られる。ちなみに、西ヨーロッパ世界の祖とされるフランク帝国初代皇帝のカール大帝と同時代の人物である。
嵯峨帝の本名は神野親王。12歳年上の兄、平城天皇の皇太弟に立てられた。幼いころから聡明で知られており、父の意向によると伝わる。