◎日本の未来を見据えていた12人(第2回)「聖徳太子」
(倉山 満:憲政史研究者)
日本はノンキな国である。どれくらいノンキか。聖徳太子がどれほど偉大な人物かを忘れてしまうくらい、ノンキである。
そもそも。日本は「人を殺してはならない」という価値観が、当たり前のように定着している国である。では、そのような価値観が世界の多数派になったのは、いつだろうか。
現代の東アジアはどうか。習近平、ウラジーミル・プーチン、金正恩のような人々が、「人を殺してはならない」という価値観が通じるような相手か。最近だと、文在寅も怪しい。そうした国々に囲まれて、今の日本人のノンキさは度を越しているとも言えるが・・・。
アメリカ合衆国も、「黒人だけは民主主義の例外」などと、比喩では無く文字通り、人を人と思わぬ所業がまかり通った。黒人が投票所に来ればリンチをして追い返すのが日常だった。黒人がアメリカ人としての権利を認められたのは、1960年代である。その後は戦争以外で人を殺すような国ではない。
では、ヨーロッパはどうか。どんなに早くても1648年である。この年、ウェストファリア条約が結ばれた。この条約の内容は多岐にわたるが、その最も重要な要点は2つ。「心の中では何を考えても構わない」と「あらゆる国家は対等である」である。もっと具体的に言えば、「違う宗教を信じている者も殺してはならない」という合意の出発点となる条約だ。
日本人からすれば「何を当たり前のことを?」だろうが、ヨーロッパ人は「信じる宗教が違う」というだけで、多くの血を流してきた。十字軍のような宗教戦争、魔女狩りのような異端審問。そうした1300年に及ぶ殺し合いの果てに、ウェストファリア条約が結ばれた。ただし現実には、1648年に「人を殺してはならない」という価値観が定着したのではなく、その後も幾多の紆余曲折を経て、19世紀ころに何とか「人を殺してはならない」という価値観が定着したのである。
18、19世紀にヨーロッパの大国が世界に覇を唱えたこともあり、現在の世界にもウェストファリア体制の残滓(ざんし)は垣間見られる。理由もなく「人を殺してはならない」という価値観は人権尊重、「心の中で何を考えていても構わない」は内心の自由(思想良心の自由)、「あらゆる国家は対等である」は主権国家対等の原則。これらすべて、ウェストファリア体制と呼ばれる国際秩序の重要な価値観である。こうした価値観を否定する国もあるが、困難に耐えてなお健在である。