「鶴田とレスリング」目を見張るもの

 一方、プロレスラーにとって長身は大きな武器だが、思春期の鶴田にとっては大きいことがコンプレックスだったようで、「やっぱり大きすぎるという劣等感があったんですよ。ホントに嫌がってました。あれだけ目立てば注目の的ですよ。みんな好奇の目で見ますわ、あの頃は。それから、ちょっと吃音(きつおん)があるというのもあったんですよ。なかなか上手くしゃべれなかったんですよね。親しくなるまで、ちょっとナイーブというか」と池田は語る。

 また、今でもよく議論されるのが「鶴田友美のレスリングの本当の実力」だ。

 大学からレスリングを始めて、わずか3年で72年のミュンヘン五輪にグレコローマン100kg以上級として出場したことは広く知られているが、「重量級は国内にライバルが少なかった」と揶揄する声もある。

 そこで中大レスリング部主将として鶴田を受け入れた鎌田誠(かまだまこと)氏、鶴田が一度も勝てなかった磯貝頼秀(いそがいよりひで)氏にじっくりと話を聞いている。

 両氏が語るアマレス時代の鶴田友美、谷津嘉章、長州力の比較論には重みがあった。二人はこう口を揃える。

「長州は攻めないで、相手が来たら潰すことばかりを考えていた。中途半端にタックルを仕掛けたら潰されちゃいますよ。谷津は手足も長いから、ホントに攻めづらい選手でしたよ。それでいて攻めてくる。鶴田、長州、谷津の3人を並べたら、谷津が一番強かったんじゃないかな。アマチュアのルールで試合をやったらね」(鎌田)

「長州は基本の構えがいい。正攻法の構えなんです。めちゃくちゃ腰が強いです。時代が違うけど、やっぱり強かったのは谷津ですよね。谷津はスタミナもあったし、いい片足タックルも持っていたし、凄く強かった」(磯貝)

 しかし、磯貝の「大学1年からレスリングを始めた鶴田がオリンピックに出場できるまで物凄く努力したということに、彼のアスリートとしての価値があると思います」という言葉も忘れてはならないだろう。