プロレス界の完全無欠のエース・ジャンボ鶴田。いまなお「日本人レスラー最強」とも言われる男は、「権力に背を向けた人間」としても知られる。その背景に元『週刊ゴング』編集長の小佐野景浩氏が初めて迫った。その一部を紹介する。
旧友から聞くジャンボ鶴田の「違った顔」
今でも「日本人レスラー最強説が根強い」ジャンボ鶴田。
2000年の急逝から没後20年となる5月13日、私は『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』を上梓した。本書は瞬く間に重版出来となり、良い供養になったという思いがある。
その一方で私は、「強い」「無尽蔵のスタミナ」「天才」という鶴田を称賛する言葉には、実は飽き飽きしていた。
いったい、鶴田の何が凄かったのか?
その強さの源はどこにあったのか?
そして「最強」と言われても「最高」と言われないのはなぜなのか?
そうした難問を解き明かすことが、この本のテーマであった。
鶴田の全盛期を知るには、鶴田の中の「怪物」が覚醒するまえの時代を知る必要がある。そこで、私はまず鶴田の故郷の山梨県山梨市牧丘町倉科の実家を訪れ、実兄の鶴田恒良(つねよし)氏に話を伺った。
さらに恒良氏の紹介で、山梨県立日川高校のバスケットボール部で鶴田と一緒に汗を流した同級生の池田実(みのる)氏にも話を伺うこともできた。
鶴田の生い立ちを知っているファンの方は多いと思うが兄、同級生の話を聞いてみると、これまでのストーリーとは違う事実、違う鶴田少年が浮かんできた。
たとえば、鶴田の名前が友美(ジャンボ鶴田の本名)になったのは、生まれた時に未熟児で女の子のような赤ん坊だったからと言われているが、恒良は「小さく生まれて、大きく育ったって聞いたことはあるけど、そんなに小さくはなかったと思いますよ。3000gはあったと思います」と言って笑う。