「鶴田さんが焦るような試合をやりたかったけど、余裕を奪うことはできなかったですね。鶴田さんは攻めてる時もけっこう息を整えている。大きいから相手は乗っかられているだけできついんですが、そこでゆっくり自分で呼吸を整えて、次の攻めの体勢を整えるのが巧かったです」(小橋)
「俺が注目されたとしたら、鶴田さんに容赦なくコテンパンにされたから。ありがたかったですよ。でも当時の俺としたら『たまったもんじゃない!』って思ってましたけど(苦笑)。鶴田さんに背中を叩かれるのは痛かったなあ。今、ビデオなんかで観ても『菊地毅、大丈夫か!?』って感じですよ(苦笑)」(菊地)
最終的に「ジャンボ鶴田は何者だったのか?」は読者の皆さんに委ねられる。
図らずも波瀾万丈になってしまった鶴田の後半の人生は実にドラマチックだ。
結局、ジャンボ鶴田は「普通の人」にはなれなかった。その生き様は紛れもなくプロレスラーだった。亡くなって20年。普通の人でいたかった最強怪物王者に敬意を表して「オーッ!」。