(黒木 亮:作家)
小池百合子東京都知事が15日、カイロ大学の卒業証書と卒業証明書の現物を記者会見で公開した。その際、「(卒業証書類などを)何度も公開してきた」と述べたが、これはいつもの詭弁である。小池氏は28年前に国会議員になったが、関係者が検証できる形で公開したのはこれが初めてだ。
12日の都知事選への出馬表明の会見では、「卒業云々についてはですね、すでに何度も私自身が、カイロ大学が認めているということを申し上げて参りました。今日も一部のメディアで、原本そのもの、かつて公表しておりますので、それを載せて掲載しているところがございました。あのう、すでに公表もしているということでございますので、必要な条件、要件等々を検討しながら進めていきたいと思っております」と答え、公開に後ろ向きだった。小池氏は、都議会でも再三にわたって公開を拒否してきたが、ここに来て急遽公開したのは、このままでは乗り切れないと思ったのだろう。
長期にわたって公開を拒んできたのは、正規のルートで卒業していないので、自分が持っている卒業証書類が本物かどうか、自信が持てなかったからだと筆者は推測している。正規のルートで堂々と卒業したという自信があるなら、すでに50回でも100回でも公開してきたはずだ。筆者が記事などで「卒業証書のほうは、要件をいくつか欠いており、さらに疑わしい。裏面も見る必要がある」などと指摘してきたので、”お友達”のカイロ大学日本語学科長に相談しながら、これなら何とか乗り切れると思って公開に踏み切ったのではないか。
異なるロゴ
では、今回公開した卒業証書類はどんなものだったのか?
最初に指摘したいのは、小池氏が今回公開した卒業証書が本物であるなら、自著『振り袖、ピラミッドを登る』(1982年)の扉に使われた卒業証書は偽物ということになる。両者のロゴが明らかに違っているからだ(文春オンライン「小池百合子都知事のカイロ大学「卒業証書」画像を徹底検証する」https://bunshun.jp/articles/-/7792)。
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石井妙子氏は『女帝 小池百合子』の中で、小池氏は、タレント時代に手に入れた卒業証書は作りが杜撰だったため、本の扉では、アラブの民族衣装姿の自分の写真とコラージュして隠し、その後、今回公開した卒業証書を手に入れたのではないかと推測している。
今回公開された卒業証書は、1978年11月に作成されたと書かれているが、エジプト外務省の認証もなく、収入印紙も貼られていないため、本当にその頃作成されたものか確認のしようがなく、石井氏の推測を否定できない。
エジプトの国立大学の卒業証書が海外で有効なものとして通用するためには、エジプト外務省の認証が必要である。下の画像は、(小池氏が卒業したと称している)1976年のカイロ大学文学部の卒業証書の下部である。左の四角の中の黒っぽい文字は「48213番の最終署名が真正なものであることを証する」というエジプト外務省のスタンプで、担当職員のサインと日付がある。外務省の認証の日付、貼られている印紙の種類や額などから、この卒業証書が当時作成されたことが確認できる。しかし、小池氏の卒業証書にはこれらがない。
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また小池氏の卒業証書のアミード(学部長か学生部長)のサインが、この年度の卒業証書のアミードのサインと異なっている点も、小池氏の卒業証書が本当に1978年11月に作成されたものかどうか疑問を抱かせる(学長のサインは同じだが、これはスタンプだと思われる)。
さらに卒業年が1976年となっているが、『振り袖、ピラミッドを登る』の中で、「1年目に落第した」と明記しており、それなら卒業は早くても1977年以降でなくてはならないのは、すでに指摘したとおりだ。
『振り袖、ピラミッドを登る』の偽造私文書行使の公訴時効は過ぎているが、どういうことなのか、上記の点を含め、是非小池氏に説明を聞いてみたい。