英ブリストルの施設で開催された光と振動で魅せるアート。粒と波の両方の性質を持つ量子の世界に残す「傷跡」とは。(写真:SWNS/アフロ、2016年10月撮影)

(小谷太郎:大学教員・サイエンスライター)

 最先端の研究テーマというものは、分野外の人には珍紛漢紛(ちんぷんかんぷん)、日本語にさえ聞こえないことがしばしばあります。

 2020年5月8日、東京大学の大学院生・柴田直幸氏、吉岡信行・理化学研究所研究員、桂法称・東京大学准教授が、「量子の世界に『傷跡』を残す数理モデルを無限に構成する方法」を発見したと発表しました*1。論文は学術誌『フィジカル・レビュー・レターズ』に掲載され、さらに「編集部のお薦め」に選ばれました*2。業界注目の研究です。

 しかし「量子の世界」の「傷跡」とはいったい何ごとでしょうか。「数理モデルを無限に構成する」とはどういうポエムなのでしょうか。

 今回は、量子力学なんて食べたことないとおっしゃるかたを対象に、この量子力学の正統的な研究を、ガチで解説いたします。一緒に量子力学という分野の先端を垣間見てみましょう。

*1https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2020/6864/
*2https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.124.180604

量子力学とは

 量子力学とは、原子や分子や素粒子といったミクロな「物」を取り扱う科学です。今から100年近く前、ハイゼンベルクやシュレディンガーやパウリやディラックその他大勢の伝説的な天才たちが、よってたかって創り上げました。

 そういうミクロな「物」を取り扱うには、どうして特別な科学が必要なのでしょうか。10 kgの重りに働く物理法則と、1 kgの重りの物理法則は同じです。0.00・・・(ゼロを25個省略)・・・0009 kgの電子に働く法則は違うものなのでしょうか。

 はい、電子や原子や分子などのミクロな世界を支配する法則は、日常見たり触ったりできる物体の法則とぜんぜん違うのです。

 例えば、ヘリウム原子などある種のミクロな存在は、同じ場所に同時に2個も3個も詰め込むことができます。

 もちろん私達の知る常識的な物体ならば、同じ場所を同時に占められるのは1個だけです。