猫のコロナウイルスは、ときに遺伝子変異を起こして、単に下痢を起こすウイルスから、死亡率が100%となる猫伝染性腹膜炎のウイルスに変化する(写真:PantherMedia/アフロイメージマート)

(星良孝:ステラ・メディックス代表取締役/編集者 獣医師)

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染者の報告数は減少傾向にあり、全国的に緊急事態宣言も解除された。そして、いやがおうにも人々の視線は今後の感染第2波、第3波に向く。ウイルス制圧に持ち込めるか。その意味で国際的にもワクチン開発への関心が高まっている。

 一部で話題になっているが、海外でバイオテクノロジーのイラストを販売するウェブサイト「bio render」には、新型コロナウイルス感染症のワクチンと治療薬の開発案件がずらりと一覧になっている(ページはこちら)。医薬系企業にも関心の高いテーマゆえに多くの関心を集めているようだ。

 これによるとワクチンで100件以上、治療薬も200件以上の開発案件が並ぶ。報道を追っても同様な水準のワクチン開発が紹介されている。それだけウイルス制圧に向けて、世界中の製薬企業がしのぎを削っているということだろう。

 早いところでは、英アストラゼネカがオックスフォード大学の開発したワクチンの出荷を今年9月にも開始するとこのたび発表した。各国政府や国際機関と協調してワクチンの使用を広げる交渉も進めている。ワクチン開発に1年や2年かかると指摘される現状を考えると、かなりの開発スピードである。

 もっとも、ワクチンを世に送り出せば、ウイルスが制圧され、感染が終息するというわけではない。専門家が気にしているのは安全性と有効性だ。

 たびたびで恐縮だが、筆者は獣医師資格を持っている。その立場から獣医の考えを代弁すると、獣医は「動物にもコロナウイルスがあり、動物のコロナにはワクチンがある。その知見から生かされるものもあるのではないか」と思っているはずだ。とはいえ、コロナの研究に当たっているわけではないから、はっきりと人のコロナにどんな示唆があるのかは言いづらいと考え込んでいるのではないだろうか。

 そこで今回、動物のコロナワクチンについて、最近までの研究も踏まえて、動物コロナワクチンの開発から見える、これからの新型コロナワクチン開発の課題について書きたいと思う。獣医領域でウイルス研究に長く従事してきた北里大学名誉教授で、前獣医学教授(獣医感染症学)の宝達勉氏からも見解を聞くことができたので、その見解もご紹介しようと思う。

 動物のコロナワクチン開発を見ることで、新型コロナウイルスに対するワクチンの課題も少しは見えてくるのではないかと考えている。

豚や犬のコロナウイルスにはワクチンがある

 そもそもウイルス感染を予防するためのワクチンには、大きく2つの種類がある。一つは、病原体の病原性を弱めた上で、人の免疫を引き出すワクチンとして使う「生ワクチン」と呼ばれるタイプのワクチンだ。ウイルスに感染させた細胞を何代にもわたって培養し、病原性を弱めるといった方法で作り出す。例えば、結核のワクチンである「BCG」はよく知られているワクチンだが、これは牛の結核菌を230代培養して作られた生ワクチンの一種だ。

 もう一つは生きた病原体ではなく、ウイルスの構成成分や細菌毒素などを分離精製して使う「不活化ワクチン」と呼ばれるタイプのワクチンである。感染性のある病原体を使わないので一般的に安全性が高いと見なされる。人のワクチンで言うと、インフルエンザのワクチンは不活化ワクチンが使われている。

 前述の通り、問題のコロナウイルスについては、動物ごとに生ワクチンや不活化ワクチンが既に使われている。人間にとって身近な動物である、牛や馬、豚、鶏、犬猫にはそれぞれ別のコロナウイルスが存在しており、牛、豚、鶏、犬にはそれぞれに有効なワクチンが使われている。

 有効性が高いのは、豚に下痢を引き起こすコロナウイルスに対するワクチンだ。下痢といっても、いったん起こると、生まれたばかりの豚では死に直結するため、畜産業には大きな打撃になるものだ。現状、生ウイルスと不活化ウイルスの双方が治療のために用いられている。

 豚の下痢を起こすウイルスには、伝染性胃腸炎(TGE)と、より症状の軽い豚流行性下痢(PED)という2種類があり、それぞれでワクチンが使われている。ただ、豚にはTGEウイルスの遺伝子が変異し、呼吸器の異常を起こすようになった種類もあり、こちらにはワクチンはない。コロナウイルスの遺伝子変異の起こりやすさを示していると言えるかもしれない。

 同様に牛のコロナウイルスでも、不活化ワクチンが使われている。牛の下痢は牛乳の生産に影響するので、病気を防ぐのは重要な医療行為となる。