緊急銀行救済法に署名するフランクリン・ルーズベルト大統領(1933年3月8日)

GDⅡが起きようとしている

 1929年の世界大恐慌(Great Depression)は、米株式市場の暴落から始まり、第2次世界大戦を誘発した。

 米株式市場の世界経済に与えるインパクトは今も大きい。

 今年初めには、米国が世界の株式市場の時価総額に占める割合は50%を超えていた。

 リーマンショックなどの戦後の米株式市場の大暴落が世界大恐慌につながらなかったのは、戦前の失敗を繰り返さないために戦後様々な経済と政治の安定装置が築き上げられたためだった。

 リーマンショック以来の米株式市場のバブル状態と国際協調体制の分裂は戦後の経済安全保障を危うくしてきた。そこに、コロナ禍に対する巨額の財政負担がこれからのしかかる。

理解されていないルーズベルトの真価

 米株式市場の大暴落が大恐慌を招き、世界に広がって第2次世界大戦を誘発した米国経済と世界システムの欠陥を最も深刻に受け止めたのがルーズベルト大統領であった。

 ルーズベルト大統領は、財政による経済成長政策や預金保護など、現代では普遍的な経済政策を米国に導入しただけではない。

 大恐慌後に世界経済を分断し、ドイツと日本の侵略を誘発したブロック経済の根底にあったのは植民地主義だが、ルーズベルト大統領はその中心国である英国のチャーチル首相に働きかけ、植民地の独立と自由貿易、国際協調を基調とする「大西洋憲章」を1940年に共同発表した。

 ナチスドイツの英国本土侵攻が間近に迫り、米国の参戦をルーズベルトに懇願するチャーチルにはほかに選択肢はなかったのだろう。生々しいやりとりはチャーチルの「第2次大戦回顧録」中の書簡のやり取りからもうかがえる。

 こうして、ルーズベルトは戦後の「パックスアメリカーナ」の原型を作り、大国間の戦争がない戦後世界を実現させた。

(大恐慌から世界大戦への経緯については、2007年出版の「米中経済同盟」の「戦争か平和か」の章で100ページにわたり詳細に論じている)

 いま、戦時大統領ルーズベルトの国民へのメッセージだけを捉えることが流行しているが、ルーズベルトの政策の本質を深掘りし、21世紀の世界平和のために不可欠な装置としての自由貿易や国際協調は真剣に実行されてはいない。

 浮薄な人気取りが横行している。その間にも、コロナ禍が巨大な人命と経済の損失をもたらしている。

 いよいよ、21世紀型大恐慌(GDⅡ)が姿を現しつつある。どのように対処するのか、何がブレークスルーになるのか、シリーズで伝えていきたい。