息の根を止めたと思った戦争が廊下に立ちて茶の間を覗く(盛岡 藤原建一作 日本経済新聞 歌壇 2014年4月13日より)。
さわやかな五月晴れなので、司法試験の勉強に疲れた若者は外へ出て散歩したくなった。半蔵門で地下鉄を降りて皇居のお堀に沿って歩くと、桜のトンネルはみな若葉だ。お堀にはボートが浮かんでいる。
しばらくすると、大きな鳥居の前に出た。ここはどこだろう、と立ち止っていると「お若いの」と呼び止められた。
声の主は、お正月に谷中の墓地のそばで出会って、雑煮をごちそうしてくれた南海先生と名乗った老人だ。明治時代の中江兆民の本の中から抜け出してきた、などと言っていた。(2014年1月9日の東奔西走を参照)
しかし、今日の南海先生は、若い男と一緒だ。
「わしじゃ。南海先生じゃ。靖国神社のお参りに来たのか」
「えっ。ここが靖国神社なんですか。来るのは初めてですよ」
「情けないのう。ここにいるわしの中国の友人は、日本を研究しておられるのだが、わざわざ靖国神社を見に来たのじゃ。偉いもんじゃ。もっとも、中国共産党の宣伝に毒されているところはあるがな」
「尊敬する南海先生といえども、そのお言葉は聞き流すわけには参りません。私は、日本人が今も信仰する靖国神社というところを、客観的に知りたいと思っているだけです」
中国の青年は流暢な日本語で反論した。どうやら、靖国神社をめぐる論戦が始まりそうだ。
南海先生 それでは、いったい君は何が分かったのかね。
中国青年 やはり、靖国神社は日本の軍国主義を肯定し、中国をはじめとしたアジアへの侵略を美化するところだということが、あの遊就館というところの展示を見てよく分かりました。