「Art De Vivre(アール・ド・ヴィーヴル)」というフランス語をご存知だろうか。

 これはフランス人の生活信条を表す言葉である。正確に意味を伝えるのはなかなか難しいのだが、あえて説明を試みると、放っておけば平凡で代わり映えもしない日々の繰り返しに埋没してしまうところを、いかに生気に溢れて、楽しみや興奮を追求する能動的な人生に転換するか、そのためのあらゆる術(すべ)、ということになる。

 とりわけ、人と人が遭遇する場面で、食や美など、より多くのものを共有することで、ちょっとした感動や幸福感を交歓しあう、そんな人間関係に重きを置いている。誰かと偶然遭遇したほんの一瞬に相手にささやかな感動を与える、そんな交歓ができれば人生はもっと楽しかろう。

 明日を憂えて悲観的に過ごすより、今日を精一杯ワクワクどきどきと生きよう──。そんな視野の転換こそ、実は今の日本に必要なのではないか。

 敗戦以来、多くの日本人は個より集団を重んじる企業社会の一員として、会社にかしずき、一生懸命貢献し、今日は明日の糧と割り切って滅私奉公に励んできた。三種の神器に慰められ、いつしかマイホームを夢見て貯蓄に精を出してきたからこそ、国全体が上意下達機構として日本株式会社の拡大再生産を効率的に推進できたのである。

 ところがこの会社は内需拡大に転換して以降、大きく道を踏み外してしまった。需要のない資産への投機によって、一人ひとりが働けば働くほど社会の中で富が偏り、個人や家計からマイホームや金融資産が遠のいてしまう、すなわち、「今日、我慢すればするほど明日の夢が遠ざかる」という正反対の悪循環に陥ってしまった。そこで適切に軌道修正ができなかったために、我々はかつて思い描いてきた「輝く明日」とは全く違う「黄昏の落日」に愕然としているのだ。

一瞬に勝負をかけて感動を作り出す

 そろそろ盲目的に今日を我慢することはやめにしよう。明日の見果てぬ夢に惑わされて今を疎かにすることはない。むしろ、今この瞬間に最大の知恵と労力を投入して、楽しく面白くエキサイティングな時間を持とうではないか。一瞬に勝負をかけて、乾坤一擲とばかりに、最高の感動を創りだす。そう、まさに「ファンタジスタ」のように。

 サッカーファンには馴染みのある言葉だろう。ロベルト・バッジオ、ロナウジーニョ、我が国が誇る中村俊輔…。古今東西のファンタジスタに一家言ある方も多いはずだ。彼らは見る者の予測を小気味良いまでに裏切って、誰一人として想像しなかった場所にボールを運び、スタジアム全体に熱狂の渦を巻き起こす。

 ほんの一瞬見え隠れするプレーヤー同士の隙間を縫って、味方のゴールをアシストするキラーパスを出したり、成功確率が最も低いと思われる極小スペースへ向けてトップスピードでドリブル突破したり、はたまた定石を覆すタイミングや常道を無視した体勢でシュートを放ったり、彼らの一挙手一投足は、敵のみならず何万、何十万の観客を翻弄する。

 ファンタジスタとは、そんなことのできる限られた者たちである。どんなに優れた運動能力を持つプレーヤーであっても、大向こうを唸らせる一瞬のきらめきや卓越した創造力がなくては、ファンタジスタという称号は得られない。