密教は伝統的に死と向かい合う哲学であり、食を断ったまま寂滅する即身成仏や、死の直前にある意識を転移させる法も存在する

「0」と「空」の概念

 現実的思考を自認する人には、「死後の世界」「あの世」は迷信という人もいる。

 だが、アルベルト・アインシュタインが「宗教なき科学は不具であり、科学なき宗教は盲目である」と言ったように、物事は包括的俯瞰で捉えることがなければ真理は掴むことはできない。

 最近では臨死体験について様々な角度から多くの研究がなされている。

 その結果、「生」が「死」をもって終わるのではなく、「生」ののち「生」が実際に存在するのではないか、との論説が学術的に発表されるなど「見えない世界」へのアプローチが医学の世界で活発に議論されている。

 般若心経の一節、色即是空の「空」とはインドで発見されたゼロと同じ概念である。

 数字の桁を表す表記法、例えば一、十、百、千、万、億、兆、京、垓・・・などの漢字の表記に限界はある。だが、その桁を「0」で示すことで数は無辺に広がる。

 「0」と同様「空」は無窮の連鎖。

 万物は連結していることを認識すれば、森羅万象が創生する際限のない、意識の輝きは、それ自体が全体であり、また、一つと捉えることができるかもしれない。

不可思議な体験

 密教では、「生」と「死」は表裏一体と観て「この世」と「あの世」は同時に存在しているという思想がある。

 そこでは私たちの生命はもとより、世の中は、「見える世界」と「見えない世界」の両方で成り立ち、死は新たな生の始まりにすぎないとされる。

 推古天皇の時代、聖徳太子の侍者をしていた連の公(れんのきみ)という男が聖徳太子が亡くなった4年後に突如死んだ。

 しかし、その死体は死臭を放つことなく、花の様な香りが漂っていた。3日後、男は突然、生き返り妻子に「五つの色の雲を渡り歩いた」と語ったという。