新型コロナウイルスの集団感染が発生した韓国の新興宗教団体「新天地イエス教会」の教祖、イ・マンヒ総会長(88)がソウル近郊の京畿道・加平で記者会見を開き、謝罪した。集団感染が発生してからイ氏が公の場に登場するのは初めて。同氏を巡ってはソウル市が感染を未然に防ぐ措置を取らなかったとして殺人容疑などで告発している(写真:YONHAP NEWS/アフロ)

(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)

 日本における新型コロナウイルスの流行はもはや危機的状況であり、これを抑えるためには、できることは何でもしなければいけない段階にきていると見るべきであろう。

 安倍総理は、大規模なスポーツ、文化イベントの自粛や、全国の小中高校の一斉休校を要請した。イベントの自粛は関係者にとって経営上大きな負担を強いるものである。また、全国の小中高校の一斉休校を突然要請されたため、保護者の多くが子供の預け先に困って出勤できなくなったり、休職することで会社と軋轢を生じる人や収入の減少する人などが発生したりして、国民生活に多くの負担を強いることになった。

 しかし、新型コロナウイルスの感染者ルートがはっきりしないケース、集団感染や2次、3次と連鎖的に感染が広がるケースが増え、このまま有効な対策を取らなければ、感染者が急増し、日本の医療体制が崩壊する危険性すら指摘されている。そうなれば十分な治療を受けられずに死亡していくケースも増えていく可能性がある。

韓国の対応を他山の石に

 今日本経済にとって最悪のシナリオは、新型コロナウイルスの影響が長期間続くことだろう。新型コロナの流行が長引けば、日本経済への悪影響は増幅し、景気回復はますます困難になり、国民の負担は今以上に大きくなることが避けられない。安倍総理が言うように今がその分岐点であれば、ある程度の犠牲を払ってでも、新型コロナ退治を優先的に図っていくことが犠牲を最小限にとどめる道と思われる。

 こうした時に取るべき道は、いかに最悪の事態を防ぐか、という危機管理の思考であろう。確かに、安倍政権の初動操作には種々問題があったと思われる。また、安倍総理の国民への要請の仕方は、国内で影響を受ける人々との調整を行わないまま突然言い出されたものであり、その効果も検証されていないなど問題は多い。しかし、危機を免れるかどうかの決断の時が切迫しているのであれば、安倍総理があえて政治責任を取る覚悟で決断することは国の指導者としてやむを得ないものと考える。今は可能なあらゆる手段を屈指してでも新型コロナの感染防止に努め、その結果が表れない時に初めてその政治決断を批判することが国民として取るべき道ではないか。