単独猟の猟師が到達した「命に感謝」を超えた境地

『山のクジラを獲りたくて』に綴られた真摯な願いとは

2020.01.24(Fri)漆原 次郎

シカを獲った、イノシシが獲れた

 狩猟者としての山での営みを、短めの文を重ねて描写していく。場面場面での心境も《――獲物はいるんだから、必ずチャンスはあるはず》といった具合に挿入する。読者は、著者の進歩を伴う単独忍び猟を、頭の中で追体験することができる。

 止まって、見て、聞いて、嗅いでみるの繰り返し。シカを見つけて発砲したが、外して逃す。出猟を重ねること8回目にして、ついにシカを射止める。50mほど下の斜面に横たえた、まだ温かさの残る屍を解体していく。運ぼうとすると重くて動けないほどだったが、「シカの肉を背負っているということ自体が感動的だった」。

 シカ猟に慣れてきた中、今度は突然のごとく「山のクジラ」つまりイノシシを獲る瞬間が巡ってきた。寝ているイノシシに遭遇し、射止めることができたのだ。感動が湧き上がる反面、このイノシシを100mほど下の谷底まで転がしてしまい、さらに、その転がり落ちた屍を2頭の子イノシシが追っているのを目の当たりにした。動物を殺すことへの覚悟は持っていたものの「気が滅入るという感覚」をはっきり持ったという。

 初めて「山のクジラ」を射止め、解体し、下山したときの「嬉しさ」はあったが、「獲れた」のであって「獲った」のではないと考え「もう1頭イノシシを獲るぞ」と決意した。その後、転居を控えた2シーズン目の狩猟最終日まで、単独忍び猟記は続いていく。

「命に感謝」という言葉を使わない

 狩猟は人間にとって、食糧や物資の確保のために行われてきた。

「獲って食べるところまで含めて狩猟だと思う」と著者は述べる。シカの肉は「心臓と肝臓が最高にウマイ」。心臓は薄く切って塩胡椒で焼いても、生姜醤油に浸けて焼いても、どうやって食べてもうまいのだとか。肝臓は揚げレバニラが絶品だという。他の部分はこだわらず、日常食のように食べる。「狩猟が当たり前の生活」が理想だ。

 イノシシのほうは、「そのまま焼いて食べるだけでうまい」。ただし、オスの臭いは強烈で、奥さんは味見だけして諦め、著者は「ダメだった」と感じながら、それでも作った分を食べ切った。

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