◎日本の未来を見据えていた12人(第1回)「大久保利通」
(倉山 満:憲政史研究者)
現状主義者と現実主義者は、似て非なる存在である。
現状主義者とは、目の前の現状を把握し、客観情勢を読み、与えられた情報に基づいて、最適解を探して実行する人物のことである。
歴史において、救国の英雄が現状主義者であった事例は1つもない。国を救うのは常に現実主義者である。では、現実主義者と現状主義者は何が違うのか。2つある。
1つは、あらゆる空想を排する。もう1つは、明確な理想を掲げる。すなわち、あらゆる現実主義者は理想主義者なのであり、空想主義とも現状主義者とも一線を画するのである。
西郷の代わりを務めようと決意
我が国における現実主義者の代表は、大久保利通である。言うまでもなく、幕末期の危機から日本を救い、近代日本の礎を築いた。では、大久保はどのような人生を歩んだのであろうか。
文政13(1830)年、大久保は薩摩に生まれた。既に西洋列強は忍び寄っていたが、幕府は見ないようにしていた。人々は経済と文化の繁栄を謳歌していた時代である。そんな時代、大久保は幼馴染の西郷隆盛と「自主ゼミ」を始めた。朱子学の『近思録』が教科書である。仲間と読書し、議論し、学ぶ。大久保は議論が得意だったと伝わる。
仲間の中で最初に出世したのは、年長の西郷だった。西郷や大久保は、「誠忠組」を結成し、藩主と日本の為に尽くしたいと訴えていた。西郷は国主・島津斉彬の目に留まり、江戸で秘書のような立場に取り立てられる。
ペリー来航、開国、尊王攘夷論の流行、朝廷や外様大名の政治参加の圧力、将軍継嗣問題、不平等条約調印、安政の大獄・・・と連続する政局の中で斉彬は病死、「工作員」として活動していた西郷も失脚して島流しとなった。