長きにわたり愛され、そして世間から叱られ続けてきた大相撲。相撲はどのようにして「国技のようなもの」となったのか。度重なる不祥事を乗り越えてきた大相撲をどのように捉え、どのようにつきあっていけばいいのか。「スー女」である胎中千鶴氏が大相撲への愛と苦悩を語る。(JBpress)

(※)本稿は『叱られ、愛され、大相撲! 「国技」と「興行」の100年史』(胎中千鶴著、講談社選書メチエ)より一部抜粋・再編集したものです。

「国技のようなもの」

 あまり知られていないが、大相撲の主催者である公益財団法人日本相撲協会の定款では、協会運営の目的を「太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし、我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させるため」と明記している。

 そうなると、本場所や巡業なども「国技である相撲道」の継承と発展のためにおこなわれていることになる。ビール片手にやきとりをほおばっている場合ではないのだ。

 相撲に「道」をつけて「相撲道」と称するのであれば、「国技」に邁進する者たちには、「武士道」を連想させるような真剣な態度が求められる。なかでも実践者の頂点に立つ横綱は、単なる興行団体の稼ぎ頭やスポーツ選手とは異なる立場なのだから、土俵上でも私生活でも品性高潔でなくてはダメ、という理屈になる。

 近年目にする「横綱の品格」とやらも、このような「国技」の枠組みから生じたものといえよう。

 とはいえ、「国技」という定義はあくまで協会がうたっているだけで、相撲が日本の国技であると規定する明確な根拠は見当たらない。日章旗や「君が代」は法律で国旗・国歌に定められているが、国技にはそれがないのだ。

 つまり、「国技のようなもの」というもやもやした認識を、日本人がメディアを介してなんとなく共有している、というのが実際のところだろう。