国会運営

 この危機を乗り越え、当選6回となった小沢に、再び出番が回ってくる。83年12月、議院運営委員会委員長に就任したのだ。議院運営委員会は通称「議運」と呼ばれ、与野党が本会議の進め方や内容を協議する。議運委員長は、閣僚経験者が務めることが多く、国会の常任委員長の中で最上位に位置するポストだ。

 当選同期の渡部恒三や奥田敬和が一足早く入閣する中、小沢は議運委員長として「縁の下の力持ち」に徹する。もともと根回しや調整は小沢が得意とするところだった。85年12月まで丸2年間も務め、国会の動かし方のコツを習得した。ただ、小沢としては、議運委員長は1年のつもりだったようだ。

 元衆院事務局職員で、小沢と一貫して政治活動を共にする元参院議員・平野貞夫の『小沢一郎との二十年』(プレジデント社)には「(1984年)11月1日に内閣改造が行われた。小沢さんは議運委員長を1年務めた後だから入閣と思っていた。だが、議運委員長をもう1年ということになった。この時、小沢さんは固辞するが、『大事な時だから、ここで議運委員長を続ければ、後で何か役立つはずだ』と私たち事務局職員もお願いして、議運委員長を85年12月、自治相になるまで続けることになる」とある。

 まさに平野の言う通りで、ここで議運委員長を2年務めた経験は後に有利に働く。現役のベテラン秘書は「小沢は国会対策委員長の経験はないのに、異常なまでに国会運営に詳しい。議運委員長時代に平野から相当学んだようだ。政治家がこなすべき『科目』は、政局や政策などいくつもあるが、国会運営と選挙対策の両方を極めた政治家は小沢ぐらいではないか」と語る。

 この経験により、小沢の政治家としての実力は格段に高まった。

(続く)