さらに、砂糖の取引もアントウェルペンに集中します。1500年にポルトガルがブラジルを「発見」して植民地にすると、ポルトガルにとってブラジルは経済的に非常に重要な土地になります。間もなくブラジルの砂糖生産量は、それまで砂糖生産の中心地だったポルトガル領のマデイラ諸島とサン・トメ島という大西洋の島々の生産量を圧倒するまでになり、年間1000万キログラムに近い砂糖を生産していました。以降、ヨーロッパでは、砂糖とはほぼブラジルの砂糖を指すようになりました。

ブラジルの砂糖もアントウェルペンに集積され取引された

 ブラジルでの砂糖の生産量が莫大になったため、生産や輸出に伴う費用をポルトガル単独ではまかなうことはできす、ドイツ、イタリア、ネーデルラントの商人が拠出するようになります。こうして砂糖生産は、全ヨーロッパを巻き込むビッグプロジェクトになりました。こうしたこともあり、ポルトガルの首都リスボンは繁栄しますが、砂糖の集積港となったのは主にアントウェルペンでした。

恐れられたフェリペ2世による弾圧

 このようにアントウェルペンは大航海時代、ヨーロッパにおける商品集散地として大きな役割を果たしたのです。

 そのため、この地を統治するフェリペ2世にとっては、自分の拠点はスペインに置きながらも、経済的中心はアントウェルペンに置くようになったのです。それゆえフェリペ2世は、南米・ポトシ銀山から運んできた銀をアントウェルペンに送り込み、取引の対価としました。「繁栄を極めたスペインが銀の流出によって衰退し、かわってネーデルラントが経済の中心になった」という“解説”も時々目にしますが、フェリペ2世にしてみればどちらも自分の領土です。自身の帝国を維持・発展させるためには、きわめて当然の判断でした。

 このように16世紀のヨーロッパ経済の中心となったアントウェルペンで経済活動に当たった人たちは、スペインから逃れてきたニュークリスチャン(新キリスト教徒。レコンキスタ達成後にキリスト教徒に転向したユダヤ教徒)が少なくありませんでした。彼らにとってみれば、カトリックの熱心な信者であるフェリペ2世による弾圧が何よりも恐ろしいものでした。