「濡れ落ち葉」からの脱却

 もうひとつ、大きな変化だったのが、インターネットの登場だ。私が初めてインターネットを知ったのは、阪神大震災が起きたばかりの神戸大学だった。インターネットは、あれだけの被害の大きい状況でも比較的堅牢な情報提供が可能だったということで、震災後、爆発的に普及した。

 インターネットの登場で大きかったのは、会社以外の場所で人的ネットワークを形成する機会を提供したことだ。いうまでもなく、ミクシィやフェイスブックなどのSNSで、会社の中に閉じこもっていては決して交流できなかったであろう人たちと、いくらでもつながれるようになった。私自身を振り返っても、農業研究者でしかない私が、人工知能の研究者や、児童福祉の人、会社の社長、職人、学生、主婦など、さまざまな人と交流している。人的ネットワークの結節点に自分がなるのに、もう会社の中である必要はなくなっている。

 こうして考えていくと、女性が今の時代になってもなお、出世を希望しない人が多い理由が分かる気がする。女性はもともと、会社の外に人的ネットワークを築くのがうまい人が多い。フラワーアレンジメントの教室に通ったり、エアロビクス(古い?)の教室に通ったり。子どもがいる場合は、PTAだったり、地域の見守り隊だったり、子ども会の世話役だったり。会社の外に人とのつながりを作る傾向が、男性よりもずっと強い。

 他方、男性は、会社の外に人的ネットワークを形成することが下手なことが多い。象徴的なのが、阪神大震災前の1989年に流行語大賞となった「濡れ落ち葉」。会社人間だった夫が、定年退職すると人とのつながりを一切失ってしまい、奥さんに濡れ落ち葉のようにベッタリとくっついて離れなくなる、という現象を評した言葉だ。

 それまでは、会社で働くということに一定の敬意があり、退社後も立ててもらえていた。しかし女性の社会進出が進むにつれ、「会社勤めというのは辛いものなのだよ」という男性側の泣き言が、意外とつまらない悩みなのではないかと女性からみなされるようになり、だんだん男性が立ててもらえなくなってきたことが関係しているだろう。

 そうした事実が、流行語大賞をきっかけとして知られる中で、若い人たちは、「会社の外」の生き方を探し始めていた。会社の外に人的ネットワークを形成しておかなければ、自分も「濡れ落ち葉」になってしまう。そんなときに阪神大震災が起き、インターネットが登場した。そのおかげで、会社の外に人的ネットワークを形成する方法を、多くの人が見出すようになった。

 人間はどうやら、人とのつながりを求める生き物であるらしい。これがあまりに欠落してしまうと、不安になる。精神的にかなり不安定になる。人とのつながりが確保できていると、精神的に大きく安定する。人間は、人的ネットワークの結節点でありたい、と願う生き物だと捉えたら、冒頭の、管理職になりたがる若者・中堅が減っているという現象も、理解できるのではないか。

 いまや、会社の外で人的ネットワークを形成できる時代だ。無理に会社の中で出世し、管理職にならなくても、人とつながることができる。むしろ管理職になると、忙しすぎて人的ネットワークが会社内に限定され、退社後に大変なことになるかも、という不安を与えている恐れがある。「人とつながりたい」という充足が、会社の外で得られる時代であるために、管理職になりたいと思わなくなったのではないか。