「会社の外」の人的ネットワーク

 筆者が感じる、変化の契機は、2つある。阪神大震災と、インターネットの登場だ。

 阪神大震災が起きる前、社会人となって人間関係を構築できるのは、勤め人の場合、会社関係にほぼ限定されていた。会社の中での地位が、そのまま取引先の人間関係とも連動していた。会社の中での地位が低いと、人付き合いは限定される。他方、社長ともなれば、全社員を支配する形での人間関係を構築できる。

 たくさんの国に行き来する飛行機が集まる空港のことを、「ハブ空港」と呼ぶ。自転車の車輪で、スポークという棒がたくさん刺さっている車軸のことをハブといい、それに見立てての表現だ。これと同じで、震災前の社会人は、社会的地位が高ければ高い人ほど、人とのつながりが増える「ハブ」となるが、社会的地位が高くないと、人付き合いもそれほどでなくなる。

 人間は、どれだけの人とつながっているかということが、自分の存在価値を確認するバロメーターになっている面がある。人的ネットワークの「ハブ」であること、結節点であることが、自分の存在価値を高めてくれているような気がするのだろう。

 震災前は、管理職や社長になったりしない限り、人的ネットワークの結節点になり得なかった。だから、あの時代の人たちは「自分も人的ネットワークの結節点になりたい、それで自分の存在価値を確かめたい」と願い、出世を望んでいたのかもしれない。

 ところが阪神大震災で義援者(ボランティア)として赴いた人たちは、それまでにない経験をした。社会的地位なんか関係ない。被災者のためにどれだけのことができるかだけが大事。私が義援者として通った避難所でも、全国大学模試で2番の超成績優秀な大学生と、暴走族の親分たちを束ねる親分が一緒に活動していた。震災前には出会うこともなかった人たちが、一堂に会し、ただただ、被災者のために何ができるのかを必死になって考えた。

 このとき知り合った連中は、24年を経過した今でも、会うと一瞬でそのときの気分に戻れる。「こいつは文句なしに信頼できる」という状態に戻れるのだ。

 阪神大震災では、震災直後の1年間だけで138万人のボランティアが活動したという。それだけの人たちが大なり小なり、私たちと同じ経験をした。社会的地位など関係なしに、ただ被災者、被災地のために何ができるか、ということを一緒に考える日々を共有した。会社という枠組みの外に、人的ネットワークを構築できるということを「発見」した出来事だった。