なぜ日本人だけがゴボウを育て文化に発展させたのか

世界で唯一の発展を遂げた根菜の物語(前篇)

2019.04.12(Fri)漆原 次郎

江戸期に生まれた滝野川ゴボウが日本各地に広まる

収穫後のゴボウ。江戸時代に誕生した滝野川ゴボウが、その後、日本各地に広まっていく。

 その後、江戸時代にもなると、日本の各地でそれぞれに特徴を持ったゴボウが栽培される時代となった。今の千葉県匝瑳市大浦地区に古くから根づいていた「大浦ゴボウ」、石川県七尾市の沢野婆谷神社の神職が京都からコボウの種を取り寄せて植えたのが始まりとされる「沢野ゴボウ」、山口県美祢市美東町の赤土を利用した「美東ゴボウ」などだ。

 そうした中、元禄年間(1688-1704)、江戸の北豊島郡滝野川村(今の北区滝野川)では、鈴木源吾という人物がゴボウを改良し、栽培に取り組んだ。当地は水田に乏しかったが、やわらかな黒土に覆われて水はけはよく、畑作には適していたようだ。そこで、根の長い大きなゴボウが作られた。そして地名から「滝野川ゴボウ」と呼ばれるようになった。

 鈴木はゴボウの種子を売ってもいたらしく、その後、滝野川ゴボウは日本の各地に広まっていった。各地でその後、生まれた品種の多くには、滝野川ゴボウの系統が含まれるようになり、今や日本で栽培されているゴボウの種の9割は、滝野川ゴボウの系統に関係しているともされる。

「きんぴら」も「たたき」もハレの日の料理食材だった

 食材としてのゴボウにも目を向けてみたい。中国からの影響を受け、当初は日本でもゴボウは薬用として使われていたとされる。

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