なぜ日本人だけがゴボウを育て文化に発展させたのか

世界で唯一の発展を遂げた根菜の物語(前篇)

2019.04.12(Fri)漆原 次郎

 今も使われる「牛蒡」の字については、延喜年間(901-923)に成立した本草書『本草和名』の第九巻「草中」に「悪實 一名牛蒡(略)和名岐多伊須」とある。なお、「牛蒡」は、ゴボウのひげ根が牛の尾に似ており、それに草の名前の「蒡」がついてできたといわれる。かつては「うまふぶき」とも呼ばれていた。また、「牛房」と書かれることも多い。

古文書におけるゴボウの記述。(右)『新撰字鏡』「木部五十八(本草木名)」より。(左)『本草和名』第九巻「草中」より。(所蔵:ともに国立国会図書館、赤矢印は筆者による)
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「栽培植物へ」という一大転換

 ゴボウが日本人にどのように栽培されるようになったか。その歩みも文献の記述からうかがえる。

 承平年間(931-938)につくられた辞書『倭名類聚抄』に「牛蒡」が出てくるのは「蔬菜部」の「野菜類」において。この部には「園菜類」もある。ここから、北海道開拓記念館元学芸部長の山田悟郎氏は、当時のゴボウは畑で栽培されたものでなく、山野で採られた山菜だったと考えられると推測する。

 では、ゴボウが栽培されるようになったのはいつごろか。京都の東寺に伝えられた古文書『東寺百合文書』には、鎌倉時代中期の1266(文永3)年における丹波国の大山庄領家の注文事として「牛房五十把」また「山牛房卅本」の記述がある。ここから「山牛房(やまごぼう)」だけでなく、栽培された「牛房(ごぼう)」も存在したと見ることができる。

 つまり、この2つの文献から、平安中期から鎌倉中期の間に、ゴボウが栽培されるようになったことが推察できるわけだ。世界で日本だけとされるゴボウ栽培を、まさにこの時期の日本人が成し遂げたことになる。

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