なぜ日本人だけがゴボウを育て文化に発展させたのか

世界で唯一の発展を遂げた根菜の物語(前篇)

2019.04.12(Fri)漆原 次郎

 料理にゴボウが使われていたことが分かる最古の文献は、平安時代の1146(久安2)年ごろ作られた、恒例・臨時の儀式、行事における調度についての記述『類聚雑要抄』にある。1118(元永元)年9月24日に供された宇治平等院御幸御膳のうち「干物五杯」の字の下に「海松(みる)、青苔(あおのり)、牛房(ごぼう)、川骨(かわほね)、蓮根(はすのね)」と並んでいる。その後は、南北朝時代から室町時代にかけて成立したとされる教科書『庭訓往来』の中で「煮染牛房」と記されている。ゴボウは煮物の材料だったようだ。

 日本の各地におけるゴボウ食は、どう展開していったのだろう。ゴボウの食文化などを研究する冨岡典子氏は、正月などの儀礼食として、関東以北では「きんぴらゴボウ」が、近畿地方では「たたきゴボウ」や「ゴボウのおひたし」が伝承されてきたと述べている。そして、祭りではゴボウがお供えになっていたことも触れ、「古代よりごぼうが神饌として供されたことが近畿地方を中心にごぼう料理の発達を促したと考えられないであろうか」と推測している*1

きんぴらゴボウ。呼び名の由来は、江戸時代の「金平浄瑠璃」の主人公、坂田金平(坂田金時の息子)の強さに通じるからとも、金平を演じた役者の髪型がゴボウに似ていたからとも。

 煮しめ、きんぴら、たたきなどのゴボウ料理は、基本的には「ハレの日」に出されるものだったようだ。だが、江戸時代も下ると、総菜屋などでゴボウが売られるようになり、庶民の日常食としても食べられるようになった。1853(嘉永6)年に完成した喜田川守貞の風俗考証書『守貞漫稿』には、「菜屋」と呼ばれる総菜屋の記述があり、生アワビやスルメ、焼き豆腐などの他、クワイ、レンコン、そしてゴボウが醤油の煮しめとして売られていたという。こうした店は江戸のあちこちにあったとも記されている。

たたきゴボウ。「たたき」は、ゴボウを茹でて叩いて砕くことから。
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