そう、高給を示すことは、裏メッセージとして期待値が高いことを伝えてしまい、その結果、仕事を気重でつらく苦しいものに変えてしまうことがあるのだ。高給を支払うことは、場合によっては、プレッシャーで押しつぶすことになりかねない。

 もちろん、高給を支払っても「俺はまだまだこんなもんじゃないぞ、もっと高給を支払うべきだったと後悔させてやる」と、アグレッシブで貪欲な人物は、いるにはいる。しかし世の中、そんな意欲的な人ばかりではない。

ニンジンのみに生くるにあらず

 業績を上げる人の中には、そこまで金や名誉に貪欲だったわけではないけれど、純粋に仕事が楽しかったからそれにのめり込み、結果として高い成績を収めることになった、という人も結構いる。こうしたタイプは、高給を示されると、かえって意欲を失う。高給、すなわち期待の高さがプレッシャーとなり、プレッシャーに押しつぶされて、仕事が楽しくなくなってしまうのだ。楽しくなくなると、パフォーマンスがひどく低下する。こうした性質の人は、仕事にいかに楽しく取り組むか、ということが大切になる。

 世の中には、お金が欲しいから働く、という人もいる。そういう人は、「馬の鼻先にニンジン」よろしく、高給でモチベーションを高めることも可能かもしれない。しかし、私の経験上、そうした人は、世間ではむしろかなり少なめ。多くは、「仕事が楽しい」ことの方が、パフォーマンスを高めるのに役立つようだ。お金だけでモチベーションを上げようとしても、そうした性質の人は、むしろ高給を示されたことでモチベーションを失うことになりかねない。

 朝ドラ「まんぷく」の登場人物、万平は、仕事が楽しくって仕方ない、というのめり込み方をしている。こういう人物は、お金が欲しくないわけじゃないけれど、お金が理由にならない。楽しいことが何より大切だ。

 だから、もしあなたが経営者で、優秀な人材を引き抜き、意欲的に働いてもらいたいと思うなら、高給を示すのもよいけれど、それ以上に「楽しんでもらおう」とすることが大切だろう。そして、「期待しない」ことだ。だって、期待したら、その人はプレッシャーでつぶれてしまうのだから。

 楽しむといっても、サボってネットサーフィンを楽しむという意味では、もちろんない。仕事そのもの、働くこと自体を楽しんでもらえる環境づくりが大切だ。そのためには、仕事の楽しさを奪ってしまいかねない要素は、ひとつずつ取り除いていく必要がある。

「この人は仕事を楽しめる人。そして楽しんでいれば、何かしらやってくれる人」だと信じることだ。「信じる」ことと「期待」することの違いは、前に別のコラム*1で紹介した。「期待」せずに信じることができれば、そして仕事そのものを楽しめる環境を用意できれば、人は自然と働く。だって、働くことが楽しいから。楽しければ、もっとやりたくなる。工夫も重ねる。だからもっと面白くなる。面白ければ、パフォーマンスはますます向上する。

*1http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55689