ゴーン被告の妻は、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチに書簡を出し、日本の拘置所における夫の「過酷な扱い」を指摘し、「長期勾留によって自白を引き出そうとする手法」や「弁護士の立ち会いのない取り調べ」は先進国ではあってはならないと主張した。
さらに、3月5日のルモンド紙は、ゴーン被告の家族が日本の司法制度を批判し、「日本の勾留は、中世のような」残酷なものだと批判する申し立てを国連人権理事会に提出したと報じている。
日本では、司法は聖域となっており、一切の批判から免れてきた。検察は、無罪の村木厚子厚労省局長を逮捕した事件(障害者郵便制度悪用事件:この件も弘中弁護士が弁護を担当した)のような不祥事を起こせば、国民の批判を受け権威が失墜する。しかし、裁判所については、冤罪判決であることが後で判明しても、権威が失われるということはない。裁判員制度の導入で、普通の国民の目線が入り、少しは改善の芽が出てきたが、負担が重すぎて裁判員になることを躊躇する人が多い。裁判員制度もまた、見直すべきときに来ている。
だから、司法のような聖域は、今回のゴーン逮捕劇のような「外圧」がなければ揺るがない。幕末に到来した黒船と同じである。各国はそれぞれ独自の司法制度を持っており、一長一短があるので、日本の制度が「中世のように」遅れているわけではない。しかし、他の先進民主主義国では当然の仕組みは取り入れる努力が必要であろう。
地裁の発信力不足も国際的批判を招いた原因
具体的には、家族との接見を容易にする、取り調べに弁護士の立ち会いを許可することくらいは実現させたらどうであろうか。また、最近は随分改善してきたが、裁判所が検察の主張を鵜呑みにして、安易に勾留を長期化させることも問題である。日本人は、検察に対して絶大な信頼を持っており、検察も逮捕し、勾留した以上は必ず有罪にするという信念を持っている。この「無謬性の神話」が問題である。
そのため、自白偏重ということになってしまう。2018年6月に司法取引制度が日本でも導入されたが、この制度を活用すれば、事前に証拠を集めることが容易になるので、自白に頼る必要がなくなる。ゴーン逮捕も、日産の現幹部と検察との間で司法取引を行われた結果であるが、アメリカと違って日本では司法取引はまだ馴染みが薄い。それは、司法取引が日本人の心情にあまりそぐわないからであろうが、自白偏重を是正するメリットについては、もっと評価されてよい。司法取引の功罪についても、国民的議論が必要である。
以上のような司法制度の問題点については、普通の国民は専門的すぎて関心を持ちにくいが、今回のゴーン事件はこれをお茶の間の話題にしたのである。司法制度見直しの絶好の機会である。
ところが、永田町も霞が関も及び腰である。基本的人権の擁護という点で、せめて先進国の水準にまで改革することが不可欠だと思う。そうでなければ、経済事件ですら長期勾留される国だというイメージが世界に拡散され、ビジネスを展開するために来日しようという優秀な外国人は減ってしまう。